楽園

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 何人もの若者が塔の下までやって来ては帰っていくようになったある日のこと、いつものように塔の窓辺で美しい人が歌を歌っていると、魔法使いがやってきました。魔法使いは物語とは違い、髪を伝って登ってくるのではなく、魔法を使って塔の中に現れます。真っ昼間に現れた魔法使いに、美しく育った子供は驚きました。

「どうしたの? まだ昼間だよ。もしかしてボケちゃった?」

 美しい声を持ちながら、その口調は決して美しいものではありませんでした。

「誰がボケるか」

 負けず劣らず魔法使いの口調も美しくありませんでした。きっと魔法使いのその口調を聞いて育ったために移ってしまったのでしょう。

「えーじゃあ何? 言われた通り毎日窓際で歌ってるし髪もちゃんと切らずに伸ばしてるし飯も好き嫌いせずに食べてるよ」

 小首を傾げて言う美しい人に魔法使いは苛立たしげに舌打ちをしました。

「お前は耳が悪いのか?」
「隣町の市場で呼び込みしてるのが八百屋の女将なのか魚屋の旦那なのかくらいは聞き分けられるけど」
「お前は目が悪いのか?」
「森向こうの街道を歩いてるのが女性なのか野郎なのかくらいは見分けられるけど」
「じゃあなんで髪の毛を垂らさないんだよ!」

 ちゃぶ台をひっくり返す勢いで魔法使いは言いました。けれど美しい人は言われたことがよくわからないと言うようにきょとんとしていました。

「塔の下に人が来て叫んでくるだろうが! 髪を垂らしてくれって! 一回くらい一人くらい垂らしてやれよ!」
「だって頭皮痛そうじゃん」

 やはり小首を傾げて言う美しい人に魔法使いは絶句しました。

「人一人分の重さ支えなきゃなんないんだよ。絶対すごい痛いし髪の毛いっぱい抜けてハゲちゃうよ」

 ハゲだけはいやだなぁ、などと言う美しい人に、魔法使いは大きなため息を吐き、疲れたようにイスに座り込みました。

「なんでこんな風に育っちゃったかなぁ……」

 育て方が悪かったんだろうか、と魔法使いは少し落ち込みました。けれどそんな魔法使いの気持ちも露知らず、育てたというほどに魔法使いに育てられた覚えもあまりない美しい人はのほほんと笑っています。そんな表情をしていても顔貌が良いために、とても様になっているのですが。

「なんでと言われても、生まれながらの性格というやつで」
「塔から抜け出せるチャンスかもしれないとか思わなかったのか?」
「いやー、別に塔から出たいとか思ったことないからなぁ」

 一向に期待通りの答えを返してくれないことにだんだん魔法使いはむきになっていきました。

「同年代の友達欲しいなぁとか広い地面を走り回りたいなぁとか素敵な男性とドキドキの恋愛体験したいなぁとか思ったことないのかよ!」
「友達は人間外のが十分すぎるほどいるし体育会系じゃないから走り回りたくないし野郎との恋愛はまったく興味ないからなぁ」

 あっはっはーと笑う美しい人に魔法使いは唸りながら唇をへの字に曲げました。

「だいたいさぁ、塔から出たら汗水垂らして働かなきゃいけないわけでしょ? 今までなんもしないで生活に苦労することなく生きてきた人間にそんなことできるわけないって」

 それは確かにそうかもしれない、と思った魔法使いでしたが、逆に説得されかかっていることに気付きはっとしました。

「そ、そんな自堕落な生活でいいと思ってるのか!」

 なんだかもう論点がずれまくっています。

「いやー、どうして自分がこの塔に閉じ込められてるのかはおおよそ知ってるんで、しょうがないかなーって」

 美しい人は少し俯きながら微笑みました。
 そう、魔法使いは何もただの意地悪であの夫婦から子供を取り上げて塔に閉じ込めていたのではないのです。実はあのりんごは魔法使いが趣味で品種改良とか遺伝子組換えとか色々やらかした結果にできたもので、大変危険なものだったのです。なんとあのりんごを食べるとたとえまったく魔力のない一般人でさえ魔力が備わってしまうのです。魔力に対するなんの知識もない一般人に魔力が備われば、知らず知らずのうちに拙いことをして周囲を巻き込む大惨事を引き起こしかねません。そんなりんごをあの奥さんは許されたからと言って調子に乗って六九個も妊娠中に食べてしまいました。食べた分の魔力はすべてお腹にいた子供に蓄えられ、子供はただそこにいるだけで周囲に影響を与えるほどの莫大な魔力を持って生まれてしまったのです。そのため魔法使いは周囲に影響が出ないようにと封印の魔法をかけた塔の中に子供を閉じ込めたのでした。
 両親が子供に名前をつける前に連れてきたのも、魔力を持つものにとって他人に名前を知られることは自分の命を握られるのと同じことだからです。魔法使いも子供に名前はつけず、自分で色々考えられるようになった頃に自分で考えさせました。だから今でも魔法使いは美しく育った子供の名は知りませんし、美しい人の方も魔法使いの名前は知りません。
 そして美しい人はそのような事情はすべて魔法使いから聞かずに、友達である物知りな鳥だとか精霊たちだとかから聞きました。

「…………」
「それに何よりこのなんにもしないでも楽に生きていける今の生活が大好きだから!」
「結局そこかよ!」

 珍しく美しい顔に憂いを乗せたかと思えば、瞬く間にあっけらかんと笑い出した美しい人に魔法使いは鋭く突っ込みました。

「まぁ、そんなわけであんたの退屈しのぎに付き合ってもいいんだけどさ」

 実はここ最近若者がこの森にやって来るのも、世間で意地悪な魔法使いに塔に閉じ込められた美女の話が話題になってるのも、すべて魔法使いが退屈しのぎに仕組んだことだったのです。話通りに美しい人がこの塔から自由になって若い王子と幸せに暮らして欲しいと、魔法使いは望んでるわけではないのですが、美しい人があまりにも何もしないので面白い展開にもならず、怒って殴り込みに来たというわけなのでした。

「だったら頭皮が痛そうとかほざいてないで髪の毛垂らせよ」

 不満げにそう言う魔法使いに再び小首を傾げて美しい人は言いました。

「でも、俺男だから野郎には興味ないんだよね」
「…………」

 その言葉の意味を二・三度反芻してみて魔法使いは思い出しました。

「そういえばお前男なんだっけ!」

 世界中の男たちがうっとりと見惚れるほどの美しい容貌をしているものの、この美しい人は実はれっきとした男だったのです。毎日朝しか顔を合わせない魔法使いもすっかり忘れていた事実でした。

「あんたが女性だってことと同じくらい世間に知られていない事実だよね」
「それを言うなーーーーーーーー!!」

 実は強大な力を持つ意地悪な魔法使いのフードの下に、花も恥らう乙女の花の顔があるということを知っているのは、美しい人ただ一人だけでした。
 魔法使いは深く被ったフードを死守するように手で押さえながら美しい人を睨みましたが、美しい人はやっぱりにっこりと微笑んでいるのでした。

「まぁ、いいじゃない。こっから出れないのは確かに退屈だけど、どこまでも見渡せるこの窓からの眺めは最高なんだし」
「まぁ、な」

 窓からは森が見え町が見え村が見えどこまでも続く大地が見えました。街道を人が行き交い、森の中で暮らす動物が見えます。遠くの空を飛ぶのは渡り鳥でしょうか。

「まるで世界中が俺たちの庭みたいじゃない?」

 しばし時を忘れて、美しい人も魔法使いも窓の外の景色を眺めていたのでした。


 こうして魔法使いと美しい人は時々退屈しのぎに世間を騒がせながらも、末永くのんびり平和に暮らしていったのでした。