楽園

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 あるところに一組の夫婦がおりました。二人は仲睦まじく、家はそれほど裕福ではなかったものの、幸せな家庭を築いていました。しかしそんな二人にも一つだけ悩みの種がありました。それは子供ができないことでした。結婚して一・二年はそのうちできるだろうと楽観視していた二人でしたが、子供ができないまま五年六年と経つうちに、それは大きな悩みになりました。そこで二人は毎晩神さまにどうか子供を授けてくれるようにと強く願い続けました。そしてとうとう念願叶い奥さんは子供を身ごもりました。そういう訳ですから二人の喜びは一入で、お腹がまだあまり大きくないうちから、子供のための服や玩具を用意していました。
 そんな風に毎日幸せそうに子供が生まれる日を心待ちにしている二人でしたが、妊娠中というのは精神が不安定になるものです。おまけ奥さんにとってはこれが初めての妊娠ということもあり、それは尚更でした。
 二人の小さな家の裏には広い庭のある大きなお屋敷がありました。そのお屋敷の持ち主は遠くの国にまでその評判が届くほどの力のある魔法使いでした。けれど魔法使いはその力の評判と同じくらいに意地が悪いことでも有名でした。
 ある時奥さんは旦那さんに言いました。

「ウチの裏の庭になってるりんごが食べたいわ」

 魔法使いの庭にはありとあらゆる種類の草花が植わっていました。特にりんごはそこらのお店で売っているような物よりも色艶もよく、とても美味しそうでした。旦那さんは愛する妻の願いを叶えてやりたいのは山々でしたが、魔法使いの性格の悪さも十分に知っていたため、容易に頷くことはできませんでした。たとえ魔法使いに訳を話したとしても素直に分けてくれるとは思えなかったからです。
 しかし手に入らないとなると余計に欲しくなるのが人の心情というもので、奥さんはそのりんごが食べたいと思うあまりにどんどんとやせ細っていきました。その様子に旦那さんもこのままではお腹の子供にも影響が出かねないと思いました。それに何より、大切な妻が今にも死んでしまいそうで、旦那さんはとうとう意を決して魔法使いの庭にこっそり忍び込みました。そしてりんごを一個だけもいでくると、すぐに皮をむいて奥さんに食べさせてあげました。奥さんは瞬く間にぺろりと一個平らげてしまいました。そのりんごの美味しいことと言ったら!
 その日はそれで満足した奥さんでしたが、次の日になるとまた魔法使いの庭のりんごが食べたくなりました。おまけに一度その美味しさを知ってしまいましたから、前の何倍も食べたくてたまらなくなってしまいました。旦那さんはいけないと思いつつも再び庭に忍び込みました。
 しかし驚いたことにりんごの木の前には魔法使いが待ち伏せしていたのです。

「無断で他人の家の庭に入り込んで無断で他人の物を持っていくっていうのはどういう了見だ」

 魔法使いは黒いローブに目深にかぶったフードといういつもの格好で、表情はほとんど見えませんでした。けれど声の調子だけで旦那さんは魔法使いがどれほど怒っているかがわかりました。旦那さんは顔を真っ青にして一生懸命謝り、奥さんが身ごもっていることと、奥さんがどんなにそのりんごを欲しがっていたかを話しました。さらには二人がどんなに子供を待ち望んでいたかを話し始めるにいたって、魔法使いはウンザリしたように旦那さんの話を中断させました。

「もういいわかった。りんごは好きなだけ持っていけ。ただし生まれた子供は私に渡してもらおう」
「そんな!」

 反論しようにも非があるのは間違いなく自分達の方でしたから、ここで受け入れなければ自分はともかくも、何よりも大事な妻にも危険が及ぶと思い、旦那さんはしぶしぶ承知してしまいました。そして子供が生まれると、魔法使いはすぐさまやってきて、二人が子供に名前をつけるよりも前に連れて行ってしまいました。
 魔法使いはその子供を両親の住む町から遠く離れた魔法使いが所有する土地に建つ高い塔に閉じ込めてしまいました。その塔には戸口も階段もなく、ただずっと上のほうに小さな窓が一つあるだけでした。流石に赤ん坊の頃は魔法使いも常時塔にいて世話をしていましたが、子供が立って歩くことと話すことができるようになると、その日一日分の食事を毎朝持ってくる以外に塔にやって来ることはなくなりました。始め子供は淋しがっていましたが、しだいに魔法使いが側にいないことにも慣れ、一人っきりで毎日を過ごすようになりました。そして子供はすくすくと成長し、一五才になりました。
 ある日のこと、一人の若者がその塔のある森の中を通っていると、塔の窓辺に美しい人が立っているのを見ました。長い黄金色の髪の眩しいその人は、あの夫婦から魔法使いが取り上げた子供でした。美しく育った子供は窓辺で歌を歌っていました。その周りには歌に聞き惚れるように鳥達が集まり、若者もまたその声の美しさに聞き惚れ、すっかりその美しい人の虜になってしまいました。けれどその塔には入り口はなく、はしごも窓の高さまでは届きそうにありません。がっかりした若者でしたが、ふと最近世間で話題になっている物語を思い出しました。
 それは意地悪な魔法使いによって、階段も入り口もない高い塔に閉じ込められた美しい女性の話でした。その話では魔法使いが塔に入る時に、その閉じ込めた美しい人の美しく長い髪を塔の窓から垂らさせ、それを伝って登っていました。またその話には若い王子が出てきて、最終的にその美しい女性と王子はくっつくのです。まるでそのお話そのままのこの状況に若者は胸を躍らせました。

「美しい人! その髪を垂らしておくれ」

 物語とほぼ同じ言葉を塔の下で若者は叫びました。そして美しい髪が垂れ下がってくるのをどきどきしながら待ちました。一分経ち二分経ち、三十分経ち一時間経ちました。結局物語のように髪が垂れ下がってくることはなく、若者は期待した分、より深く消沈しながら帰っていきました。
 またある日のこと、別の若者がその塔のある森の中を通っていると、塔の窓辺で歌っている美しい人を見ました。そして先の若者と同じようにしましたが、やはり髪は垂らされず、落胆して帰っていきました。そして何人もの若者が塔の窓辺に立って歌うその美しい人の姿を見て、同じこと塔の下で叫びましたが、やはり皆同じように気を落として帰っていくのでした。