変わらないもの

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 あるところに魔法使いと美しい人がおりました。
 美しい人は、母親が己を身ごもっている時に魔力のりんごをたくさん食べたために、ただそこにいるだけで周囲に影響をおよぼすほど莫大な魔力を持って生まれてきてしまいました。そのため、生まれた直後から魔法使いが特別にしつらえた塔の中で成長してきました。塔の中だけで育った割に、この美しい人は自分の人生を悲観するでもなく、塔の外にむりやり出ようとするでもなく、のんびりとマイペースで楽観的な性格の持ち主になりました。
 魔力を持つ者にとって、自分の名前を他人に知られることは自分の命を握られるのと同等の意味を持ちます。ですから魔法使いは、美しい人がある程度大きくなって自分で色々考えられるようになった頃に自分で自分の名前を考えさせました。そして代わりに魔法使いは美しい人のことを<美しい>という意味の言葉をとってシェーンと呼びました。また、美しい人も、同様に魔法使いの名前を知らないので、魔法使いのことをウィッチと呼びました。
 さて、莫大な魔力を持つ者はその魔力のせいでとても長生きをするのです。ですから美しい人はもちろん、美しい人の莫大な魔力を封じることのできる塔を作ることのできるこの魔法使いも、とてもとても長生きをしています。それこそ不老不死と思われるぐらいに長生きです。その証拠に、美しい人はもう百年くらい生きていますが、まだ十代だと言い張れるほどに肌はすべすべで顔にしわなど存在せず、長い黄金色の髪の毛は輝きを増すばかりです。魔法使いに到っては、美しい人が生まれた時既に百年以上前からその存在が世間に知られていました。
 しかしそうやって長く生きていると不便なことも出て来るものです。特に魔法使いの方は美しい人よりもだいぶ長く生きているため、ここ何十年かあまり面白いこともなく退屈を感じていました。美しい人が生まれてから五十年くらいは、美しい人の世話をしたりからかったりしたりとそれなりに面白かったのですが、さすがに百年も経てばそれも飽きてしまいました。美しい人はまだ百年ほどしか生きていないのであまり退屈を感じてはいないようです。まぁ、性格もあるのでしょうが。
 そこで魔法使いは思いつきました。

「またシェーンの噂を流すか!」

 と、言うのも、美しい人が十五歳の時に魔法使いは退屈しのぎに、森に建つ出口も入り口もない塔に美しい人が魔法使いによって閉じ込められている、という噂を流したのです。その噂を聞いた男たちはその美しい人をどうにか救いだそうとしましたが、美しい人が魔法使いの思うように動いてくれずに狙い通りにはいきませんでした。けれどその時はだいぶ退屈を紛らわすことは出来ました。
 今回もまた似たようなことをしようと思ったのです。

「えー今回は何さ」

 美しい人は魔法使いの口調を聞いて育ったためか、あまり口調は美しいものではありませんでした。

「この塔の周りを茨でいっぱいにしてこの塔にも入り口を作ってだな、茨で囲まれた塔に悪い魔法使いに眠らされたお姫さまがいて王子さまのキスで目覚めさせてくれるのを待ってる、っつー噂を流すんだ」
「ウィッチ、だから俺男なんだって」

 美しい人は不満げに口を尖らせて言いました。
 そうです。この美しい人はれっきとした男性なのです。そのあまりの美しさについつい魔法使いも忘れがちになってしまいます。

「今度はウィッチがお姫さま役したら?」

 そして実は魔法使いの方が女性だったのです。いつも真っ黒なフードを目深に被っているために、美しい人以外に魔法使いの顔をちゃんと見たことのある人はおらず、世間の大抵の人が魔法使いのことを男性、特によぼよぼでしわくちゃの老人だと思っているのです。
 しかし魔法使いはその美しい人の言葉を無視しました。

「じゃあ眠ってるのは王子さまで待ってるのはお姫さまのキスっつーことで」
「……まぁ、いいけど」

 美しい人の了承を得ると早速魔法使いは塔の周りを茨で囲み、出入り口のなかった塔にもちゃんと出入り口をつくりました。もちろんそれでも美しい人の魔力が外にもれないようにしてです。そして色々な街でその噂を流しました。



 そして一週間が過ぎました。けれど噂に触発されてやってくる女性はまだ一人もいません。

「まぁ、まだ一週間だもんな」

 そう思って魔法使いはもっと色々な街で噂を流しました。
 そして一ヶ月が過ぎました。けれどけれど噂に触発されてやってくる女性はまだ一人もいません。

「まだ噂が足りないのか」

 そう思って魔法使いはもっともっと色々な街で噂を流しました。
 そうして一年が過ぎました。けれどけれどけれど噂に触発されてやってくる女性はまだ一人もいません。

「なんで誰も来ねーんだよ!」

 魔法使いはとうとうぶち切れました。
 世間の女性たちは魔法使いが思うよりもよっぽど現実的だったのです。
 これは思いもよらずかなりつまらない結果になってしまいました。
 おまけにいつ女性が来てもいいように美しい人は眠りっぱなしなので、八つ当たりもできずに魔法使いはかなりイライラしていました。

「あーもうこの計画は失敗!」

 そう言うや否や、魔法使いは茨をさっさと消して、塔の出入り口も元のように跡形なく塞いでしまいました。
 そして美しい人を起こそうとしたのですが、叩いても耳元で大きな音を立てても激しく揺すっても、何をしても起きないのです。魔法で眠らせたわけではないはずなのにまったく起きる様子がありません。

「まさかシェーンが自分でかけたのか……? いや、でもそんな魔法教えてないし……。もしや無意識のうちにかけちまったとか……」

 そこまで考えて魔法使いは眠っている美しい人の顔を見ました。眠っているその姿もまたとても美しいものでした。

「これは、あれか? 私にキスしろって言ってんのか?」

 魔法使いは頭を押さえてうめきました。
 眠っている美しい人の前で立ち尽くしたまま、一週間が経ちました。そうしてようやく魔法使いは決心しました。
 ごくりと唾を飲み込むと、一歩一歩慎重に、ゆっくりと美しい人に近付いていきました。フードから覗く口元だけでも、どれほど緊張しているかが見て取れます。
 美しい人が寝ているベッドのすぐ脇まで行くと、魔法使いは二度三度大きく深呼吸しました。それからフードを取ると美しい人の顔の横に手を置き、自分の顔をこれまたゆっくりと近づけていきました。
 そして唇が重なる――
 寸前で目と目が合いました。

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
「うわっ!?」

 魔法使いは咄嗟に美しい人を投げ飛ばしてしまいました。投げられた美しい人は壁まで飛ばされました。
 いまや魔法使いの美しい人とは違うタイプの美しい顔は真っ赤になっています。
 とても長く生きている魔法使いでしたが、実はこういう男女の経験はまったくと言っていいほどなかったのです。

「お、お、おま、おま、お前!」

 恥かしさのあまりにどもってしまいました。

「な〜に〜?」

 美しい人は壁にぶつかった姿勢のまま、にやにやと楽しそうに笑っています。
 それを見て魔法使いはさらにこれ以上はないというぐらいに顔を真っ赤にしました。

「狸寝入りかーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
「そんなことないよう。ホントに寝てたよ。ウィッチがキスしようとするまでは」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 魔法使いは恥かしさのあまり、顔を腕で隠すようにしてしゃがみこみました。腕の横に見える耳までが真っ赤です。
 そんな魔法使いに美しい人は素早く近寄って同じようにしゃがみました。

「同じ時を変わらずに一緒に生きていける人がいるだけでも珍しいのに、それが男女なんだからこれはもう運命だよね」

 まるでプロポーズのようなその言葉に魔法使いは再び美しい人を投げ飛ばそうとしたのですが、それより早く、美しい人がその唇にかすめるようにキスをしました。
 一瞬、魔法使いは何をされたのか理解できずぽかんとしていました。しかし次の瞬間にはそれを理解し、再び顔を真っ赤にして美しい人を投げ飛ばしました。そして動転したまま塔から逃げ出していきました。

「うーん道は長そうだぁ」

 美しい人は苦笑しながらそうもらしました。
 しかし二人にはまだまだ果てしないほどの時間があるのです。

「ま、ゆっくりやるさ」

 きれいに微笑みながら美しい人は、自分だけが知る魔法使いのかわいい素顔を思い浮かべるのでした。



 こうして、魔法使いはしばらく退屈という言葉自体思い出さないほど、美しい人とある意味幸せに暮らしたのでした。