遠い国

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 人里離れた深い森の中、めったに人も寄り付かないその森の深部に、ぽつんと塔が建っています。見上げるほどの高さのその塔は、ずっと上のほうにぽっかりと窓が一つ開いているだけで、戸口も階段もないという、ちょっと変わった造りをしていました。戸口も階段もないので、もちろん人の出入りは出来ません。
 けれど、出入り口がどこにもないその塔には、一人の美しい人が住んでいました。長い艶やかな黄金色の髪は絹の金糸を束ねたように煌めき、深い緑色の丸い瞳はまるで大きな翠玉のように見る人を魅了するでしょう。けれども、その類まれなる容貌を間近で見ることが出来るのは、見たことがあるのは、唯一塔に自由に出入りすることが出来るたった一人の魔法使いだけでした。
 その魔法使いが、この世に生まれ出でて間もないその美しい人を両の親から引き離し、出口も入り口もない塔に閉じ込めたのです。それというのも、美しい人がただそこにいるだけで周囲に影響をおよぼしてしまうほどの膨大な魔力を持って生まれてきてしまったからでした。そんな力をまだ何もわからない赤ん坊が持っていては普通に市井で暮らすことどころか、下手をすれば自らの力で命を落としかねません。なので魔法使いは周囲に影響を与えないよう、またこの小さな赤子が健やかに成長するようにと、強い封印の魔法をかけた特別仕立ての塔に閉じ込めたのです。
 そうして魔法使いの思惑通り、塔の中ですくすくと成長した赤ん坊は世にも稀なる美貌を持った人物となりました。美しい人が十分に成長し、自分で魔力を制御できるようになると、魔法使いは塔から出て行っても良いと告げました。けれども美しい人は一見不自由に思えるこの塔での生活を気に入っていて、また何よりも魔法使いのことが好きだったので、塔からは決して出て行こうとはしませんでした。それどころか、色々と理屈をこねて塔に居座りました。
 そんなわけで、その後も美しい人はまるで引きこもりのごとく、塔の中で魔法使いをからかったりしながら日々をのんびり適当に暮らしていました。
 そんな風に暮らし続けてどのくらいたったでしょうか。人の四、五人分くらいの人生を過ごした頃でしょうか。生まれたときからとても大きな魔力を持つ美しい人はもちろん、その美しい人の魔力を抑えることの出来るぐらいの魔力を持った魔法使いも、その大きすぎる魔力ゆえにとても長く、それこそ不老不死とでも言ってしまえるほどに長く生きていられるのです。そのため、四、五百年ぐらい経っても二人は平気で元気に生きているのでした。
 そんな折です。魔法使いがちょっと大きな仕事で遠くに出かけていったのは。
 ぶっちゃけてしまえば、仕事なんてしなくたって生きていけます。けれど、人とまったく関わらずに生きていくということはとても退屈なことですし、また時代の流れからも取り残されてしまう恐れがあります。なので魔法使いはたまにこうやって仕事を受けるのでした。
 今回もそんな風に仕事を受けて、一週間ぐらいで戻ると言い残して出かけていったのです。けれど、魔法使いは一週間経っても、二週間経っても帰ってきません。三週間目に、さすがに美しい人も何かあったのかもしれないと思いました。

「ウィッチ帰ってこないなー」

 美しい人はいつもそうするように窓辺に座って外を眺めながらぼんやりと呟きました。
 ウィッチとは魔法使いのことです。魔力を持つ者にとって、自分の名前を他人に知られることは自分の命を握られるのと同じようなものなので、決して本名を明かさず、あだ名や異名を用います。なので、美しい人は魔法使いのことをウィッチと、魔法使いは美しい人のことをシェーンと呼んでいるのです。けれどこの三週間ほど、魔法使いが帰ってこないので美しい人はそのあだ名すら誰にも呼ばれていません。
 魔法使いに比べて美しい人は気が長く、暇だとか退屈だとかあまり思わないほうなのですが、さすがに一人ぼっちだと少し時間を持て余してしまうと感じるようになりました。
 美しい人と魔法使いはとてもとても長く一緒に生活していますが、思えば三週間も一人だけにされるのは初めてのことなのです。
 美しい人はほうっとため息を軽く吐きました。
 友達の精霊たちがその憂い顔を心配して窓の周りに集まってきます。
 外に出ないために人の知り合いや友人はいないのですが、実は美しい人にはこういう人外の友達ならたくさんいるのです。
 精霊たちは本来ならば人には聞こえない声で、美しい人を元気付けようとさざめきます。

――ダイジョウブ
――スグ カエッテクルヨ
――ワラッテ
――ゲンキニ ナッテ

「うん。みんなありがとー」

 心配してくれる精霊たちに美しい人はそう言って微笑みを返しました。
 それでも精霊たちはまだ心配そうにざわめいています。
 その様子に美しい人は申し訳なく思いながら、どうしたものかと思考をめぐらせました。
 ここまで何の音沙汰もなく帰ってこないとなれば、やはり魔法使いの身に何かあったと考えるのが普通です。けれどあの魔法使いを窮地に陥らせることなど生半可なことでは出来ません。いえ、もしかしたら、だからこそ帰って来られなくなっていると考えたほうがいいのかもしれません。あるいは、魔法使いは何かにはまりだすと時々周りが見えなくなる性質なので、ただ単純に何かに夢中になりすぎて連絡することすら忘れているのかもしれません。
 どっちにしろ、この塔の中でぼんやりと待っているだけでは何一つとしてわからないということは確かです。

「しょーがないなー」

 美しい人はよっこいしょなどと年寄りくさいことを言いながら、おもむろに立ち上がりました。
 髪の毛がさらりと揺れて肩から滑り落ちます。
 精霊たちは美しい人が何をするのか心配そうに、あるいは興味深そうに注視しています。

「ちょっとだけ手伝ってもらってもいい?」

 美しい人は少し首を傾げて精霊たちに言いました。