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 村の中程にある一軒の家の前にフィオレはいた。戸口の所に立ち、その家の夫人と思われる年配のふくよかな女性と話しをしている。親子ほどの歳の離れた二人ではあるが、親しいのだろう。互いに気心の知れた笑みを浮かべている。

「やっぱり貴女に頼んでよかったわ。もう時期も終わりだろうから諦めてたのよ」

 夫人の持つ籠の中には黒く艶やかな小さな山葡萄の粒が一杯に入っている。
 それは先程までフィオレが持っていたもの。彼女女はこれを届けに来たのだ。

「たまたま、まだ実のなってる場所を知ってただけです」
「あらあら、この間も時期外れの無花果をたまたま見つけて採ってきてくれたんじゃなかったかしら?」
「ええ、それもたまたまです」
「たまたま、ね」

 夫人はからかうように笑う。

「貴女みたいに森や山で珍しいものを見つけられる人のことを、聖霊に愛されてるって言うのよ」
「すごい褒め言葉ですね」
「でも貴女見てると、本当に聖霊に愛されてるんじゃないかって思うわ」
「そんなことないですよ」
「そうかしら」
「私はただの女の子ですもの」

 二人はくすくすと笑いあう。

「ねぇ、やっぱり考えてもらえないかしら? 息子も貴女のこと気に入ってるみたいだし」
「そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど……」

 困ったように言葉を濁す少女に、夫人は苦笑を浮かべる。

「貴女がその気になれないならしょうがないわ」
「ごめんなさい。そういうことはまだ考えられなくて」
「いいのよ。まだ若いんだから、恋はたくさんしないとね」

 夫人は片目をつぶって笑って見せた。



 フィオレは夫人と二、三会話を交わしてから暇を告げた。
 来るときに通った道を戻りながら少女は考える。馴染みの雑貨屋に置いてきた男のこと。
 彼は何を聞いただろうか。店主は何を話しただろうか。
 思い返すのは今朝の様子。落ち込んだかと思えば急に立ち直り、そしてとても自分のことを気にかけていた。
 フィオレは小さく笑みをこぼした。  たとえどんな話を聞かされたとしても、きっと上手くいく。上手く、やる。
 少女は笑いながら道を急いだ。
 しばらく行くと、前から歩いて来る一人の女性に気が付いた。少女よりも三つか四つばかり年長の、いつも何かとつっかかってくる相手だ。
 向こうも気が付いたらしく、綺麗な顔をゆがめて足を止めた。しかし彼女の行き先は少女の歩いてきた先にあり、引き返すわけにも行かない。そしてなにより彼女の自尊心がそれを許さなかった。女性は毅然と顔を上げ、少女のほうへと足を進めてくる。
 一方のフィオレも、そのまま道を行く。
 目の前までやって来て、互いに足を止めた。二人の顔には笑顔が浮かんでいるが、瞳だけは笑っておらず、冷たい光が灯っていた。

「こんなところで会うなんて奇遇ねぇ。また誰かに物でも恵んでもらいに来たの?」
「頼まれたものを届けて来たんです。そちらはまた媚でも売りに行くんですか? 一欠けらも相手にされていないのにご苦労さまですね」

 棘のついた言葉を、フィオレは笑って打ち返す。
 女性の笑顔が少しだけ引きつったようだった。

「そういえば、昨日村に来た男性を家に泊めたんですってね。結婚前の若い娘が男性と二人っきりで一夜を過ごすなんて……。あぁ、はしたない」

 フィオレは笑みを崩さずに首を少しだけ傾げる。

「そういうことしか考えられないなんて、欲求不満なんですか?」

 女性の顔がカッと真っ赤に染まり、笑みが崩れる。
 少女は口角を吊り上げてさらに言葉を連ねていく。

「行き遅れるとそんなことしか考えられなくなるなんて嫌ですね」
「黙りなさい、魔女が!」

 女性の手が少女に向かって振り上げられる。
 けれど――振り下ろされることはなかった。
 別の誰かの腕が、それを阻んでいた。

「暴力は、いけないよ」

 女性にとっては見知らぬ、少女にとっては昨日知り合ったばかりの男だった。