First outing

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 こんにちは、冬子です。冬の子供と書いてトウコと言います。
 私は北の大きな都市のはずれにある小さな家に居候している幽霊です。
 桜が散って遅い春を終え、雨がちな時期も過ぎると、一気に夏がやって来ました。
 高く真上に昇った太陽が強い日差しを降り注いでいます。
 私は季節の温度の変化をもう感じることはできないのですが、随分と暑くなってきているようです。
 街行く人の服装もだいぶ軽装になり、肌の露出も増えています。
 居候させてもらっているお家の住人である継春くんは相変わらずお休みの日にも出かけています。
 今まではお外にスケッチをしに行ったり、美術館や博物館を見に行ったりすることが多かったようですが、最近はお休みにも関わらず学校へ行っているようです。
 なんでも何かに出すための絵を描いている真っ最中なのだとか。
 どんな絵を描いているんでしょう。
 色んな風景のスケッチなどは見せてもらったことはありますが、本格的な作品はまだ見せてもらったことがありません。
 見てみたいと言ったことはあるのですが、わざわざお家まで運んでくるのは大変なのだそうで、それに完成したらすぐにどこかの展覧会などに出してしまったりしているので、お目にかかる機会に恵まれていないのです。
 さて、今日も日曜日で学校はお休みですが、継春くんはやはり学校へ行くそうです。
 私はどうしましょうか。
 お外は雲一つない青空が広がっていてお出かけ日和といった感じです。
 いつものように散歩に行きましょうか、それとも少し遠出してみましょうか。
 継春くんを玄関までお見送りしながら考えていると、ふいに彼が言いました。

「絵、見に来る? ……休みだからほとんど人もいないだろうし」

 私は少しきょとんとしてしまいましたが、すぐに意味を理解しました。
 絵を見に学校に来ないかと誘ってくれているのです。
 嬉しくて私は二つ返事で誘いを受けました。
 最近はお家のご主人である修也さんが席を外している時などにお話しをしたりするようになりましたが、一緒にどこかへ行くのは初めてです。
 出かけた先で顔を合わせることは何度かあったのですが、それはただの偶然ですので、一緒に出かけたとは言えません。
 継春くんと、という意味でもそうですが、思えば誰かと一緒に出かけるということ自体が私にとっては初めてのことでした。
 なんだかドキドキします。
 玄関を二人で一緒に出ました。
 出たところで、継春くんは少し足を止めました。視線を向けたのは玄関の横に置いてある自転車です。
 そう言えば、継春くんは学校へは自転車で通っているのでした。

「天気も良いし、歩いていくか」

 継春くんが通っている高校はこのお家からもそう遠くない場所にあるので、歩いてもそう時間はかからず着きます。
 もしかしたら気を使わせてしまったのかもしれません。
 幽霊なので自転車は無理だと思ったのでしょう。
 試したことがないので分かりませんが、おそらく、自力で自転車乗ることは無理でしょうが、後ろの荷台に乗っていることはできるような気がします。
 もし機会があれば試してみたいです。
 今日のところは誰かと一緒に歩くことだけで十分です。
 継春くんが先に立って歩き、私がその後ろを付いていきます。
 会話はほとんどありません。
 もともと継春くんはそれほど口数が多いほうではないですし、幽霊の私とどんな会話をすれば良いのか分からず、まだ戸惑いがあるのではないかと思います。
 それでも、時折振り向いたりしてちゃんとついて来れていることを確認してくれているので、私のことを気にかけてくれているのが分かります。
 三十分もかからずに学校へは着きました。
 大きな校舎と広いグラウンドがあります。
 散歩の時に前を通ったりすることはありますが、中に入るのはこれが初めてです。
 今日は始めて尽くしでなんだかとてもドキドキします。
 正面の大きな玄関からは入らず、グラウンド側の小さめの玄関から中に入りました。
 外には部活をしに来ているらしい生徒さんたちがたくさんいましたが、中に入ると急に人気がなくなり静かになりました。

「スリッパ……は、いらないのか」
「はい、幽霊ですから」

 お家の中でも、お外でも、私は素足のままです。
 外に出るとき靴がないことに違和感があった頃もありましたが、怪我をするわけでも痛みを感じるわけでもないので、すぐに気にならなくなりました。
 初めて入る校舎の中は、病院に似ているような気がしました。
 広く長い廊下に、その両側に並ぶいくつもの部屋。
 でも、病院よりも、なんというのでしょう、生活感があります。
 今はお休みなためほとんど人はいませんが、それでも多くの人がここで元気な日常を送っている気配をそこかしこに見られます。
 継春くんは一度上靴を取りに正面玄関へ行き、その横の小さな部屋で鍵を借りてから二階に上がっていきました。
 二階も一階と同じように廊下があり、その両側に部屋が並んでいます。並ぶ部屋を通り過ぎ、廊下の突き当たりを右に曲がります。その先にはドアが一つ。そこが目的地のようでした。
 ドアの上に美術室と書いてあります。
 借りてきた鍵でドアを開けて中に入る継春くんについて、私も入りました。
 部屋は広く、両側には窓が並んでいます。窓の下には棚が作りつけてあり、物がたくさん詰め込まれていました。一番奥の壁には大きな黒板がかけられていて、その右横にもう一つドアがあります。
 部屋の奥、黒板の前の辺りには机とイスがいくつも並んでいます。その後ろ、ドアの前のスペースには台の上に置かれた数本のビンを中心に、取り囲むようにイスとイーゼルが置かれています。
 ドア側の壁には小さい流し場もあります。
 私がもの珍しげに部屋の中を見回している間に、継春くんは奥の部屋に入っていきました。
 戻ってくると手には大きなキャンバスを持っていました。
 それをイーゼルの一つに立てかけます。
 継春くんは次に、棚から絵の具などの画材を取り出し始めました。
 私にも手伝えたら良かったのですが、幽霊ですから何もできません。
 邪魔にならないようにしながら、キャンバスを覗き込ませてもらいました。
 絵はまだ描きかけのようで色の乗っていない部分もあります。
 でも何を描いているのかは今の状態でも分かります。
 これは――

「公園のチューリップですね」

 春先に偶然継春くんと会った公園の風景です。
 すでに花が開いて見頃を迎えているチューリップと、まだ蕾の状態のものとが丁寧に描かれています。

「描きかけだから……まだよく分かんないだろ?」

 道具を準備し終わって、継春くんはイーゼルの前に座りながら言いました。

「そんなことないですよ」

 私は絵の良し悪しは分かりませんが、この絵は好きだなと思います。
 まだ描きかけなので、完成したらまた違った雰囲気になるのかもしれませんが、この絵には暖かさを感じます。
 春の暖かさです。
 長く寒い冬が終わり、雪が解けてようやくやって来た、春のうららかな温度。
 それを伝えると、継春くんは顔を逸らしました。
 照れているのでしょうか、少し頬が赤い気がします。

「完成した頃にでも……また見に来る?」
「はい!」

 嬉しくて、やっぱりすぐに頷いてしまいました。
 初めての、約束です。