Greet the spring Extra

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 目を覚ますと部屋の中はすっかりと暗くなっていた。
 ベッドから起き上がり、蛍光灯のヒモをひっぱって明かりをつける。
 眩しくて何度か瞬きをした。
 時計の短針は六を疾うに過ぎてもうほとんど七に近かった。
 一瞬、朝か夜か分からなくなる。だが今時期の朝七時ならもっと明るいはずだと思い出し、なら夜なのだと気が付いた。
 良く眠ったおかげか、頭がずいぶんとすっきりしていた。空腹も感じている。
 寝ている間に汗をかいたのか、寝間着代わりにしているシャツがべたついている気がした。別のシャツに着替えて部屋を出る。洗面所によって着替えた物を洗い籠に入れてから居間に向かった。
 叔父さんはもう帰ってきているようだ。電気もついているし、物音も聞こえてくる。
 覗くと、夕刊を読んでいるところだった。

「……おかえりなさい」
「あ、起きた? 具合は大丈夫かい?」
「お陰さまで……一眠りしたら結構すっきりしました。心配かけてすいません」
「急に色々新しい環境になっちゃったから疲れちゃったのかもね。お粥作ったけど食べられそうかな?」
「あ、はい」
「じゃぁ、今温めて持ってくるから座ってて」

 叔父さんは台所に立った。俺は言われた通りにテーブルにつく。
 すっきりしたとは言ってもまだ少しだるさは残っている。でもおそらく熱は下がっている感じだ。
 熱から連鎖してふと思い出す。寝ている時に額に何かひんやりとした物が乗っていた気がする。けれど起きた時には額の上にも枕元にも何もなかった。
 軽く首を傾げているところに、お粥を持って叔父さんは戻ってきた。俺の前に梅干の乗った白粥とスプーンを置きながら聞いてくる。

「どうしたの?」
「あ、いえ……寝てる間におでこに何か乗せてくれましたか?」
「え、俺はつい一時間くらい前に帰ってきたばっかりだけど……」

 叔父さんも首を傾げたが、すぐにあっと気が付いた顔をした。それから嬉しそうに笑った。

「継春くんのとこにも来てくれたんだ」
「何がですか?」
「ウチの幽霊さん」

 幽霊という言葉に一瞬身構えてしまう。反射のようなものだ。叔父さんは何も知らないはずで、その言葉に別に意図はないのだと自分に言い聞かせ、力を抜く。

「幽霊、ですか……? 叔父さんってそういうの信じる人だったんですか?」
「うーん……信じてる信じてないっていうか……どっちでも良い派。でもこの家には何かいるんじゃないかなって思ってる。いや、いると良いなぁぐらいかな」

 そういう反応は初めてで、俺は戸惑ったように叔父さんの話を聞いていた。
 俺にとって幽霊とは嫌悪の対象で、忌避すべきものだった。
 けれど叔父さんは嬉しそうに、楽しそうに話す。

「猫って霊が見えるとか言うじゃない? トラコさんもたまに何もないところでじゃれてたりするんだよね。それに、俺も風邪引いて寝込んでる時におでこに何か乗せられて熱とってもらったことあるんだ」
「普通、幽霊が家にいるのとかって……嫌じゃないんですか?」

 そう聞けば逆にきょとんとした表情をする。

「いや、別に。だって特に何か実害があるわけじゃないし」

 この人は随分とのんきな人なのだと思う。或いは、それだけ、今まで嫌な目にあって来なかったということだろうか。そうであるならば、幸運な人である。
 でも、と思う。確かにここの幽霊は悪い性質のものではないようだった。
 思い返すと、いつも部屋の隅にいてこちらの様子を伺っていた。正面からしっかりと見たことはないが、長い髪をゆるい三つ編みのお下げにした女の子だった。多分、同い年か、少し下くらいの年頃だろう。
 たいていは泣きそうな顔をしていた。ただ、一度だけ窓辺で猫と遊んでるのをちらりと見たことがある。あの時は笑っていた。

「あ、飲み物もあったほうがいいよね」

 叔父さんはそう言ってまた台所へと立った。
 とりあえず冷める前に食べてしまおうとスプーンを持った。
 お粥を口に運びながら考える。
 もしかしたら、あの泣きそうな顔は自分がさせていたのだろうか、と。最近その姿も見かけないのはそのせいなのか、とも。
 それなのに、寝込んでる俺の心配をしてくれたらしい。
 スプーンを運ぶ手を止める。
 小さく舌打ちをした。
 顔を上げて、ちょうどお茶を持って戻ってきた叔父さんに言う。

「明日は一日、休んでもいいですか?」