Greet the spring 1

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 こんにちは、冬子です。冬の子供と書いてトウコと言います。
 私は大きな都市のはずれにある小さな家に居候している幽霊です。
 暦も弥生の後半に入り、北の地方にもようやく春の兆しが見えてきました。
 地面にはまだ雪が残っていますが、土がほんの少しでも出ている場所には鮮やかな緑色が顔を覗かせています。
 日も段々と長くなってきて、冬の間、中にこもりがちだった人達も外で見かけるようになりました。
 消えていた友人の幽霊さん達も再び姿を見せ始めています。
 私は春が好きです。日差しのように心がぽかぽかして、気分が沸き立つ感じがするからです。
 長い冬の間、ずっと寂しい思いを抱えているからかもしれません。
 散歩に出かけて私が一番楽しいと思うのはこの季節です。
 冬の名残と春の訪れの両方を見られますし、久しぶりに友人達と会えることもとても嬉しいことです。
 でも、家の中でのんびりと過ごすことも嫌いじゃありません。
 天気が良い日などは、居候させてもらっているお家で一緒に暮らしている猫のトラコさんとぼんやりと日向ぼっこをしたりすることもあります。
 いつも日光浴をするのは居間にあるお家の中で一番大きな窓の近くと決めています。とても日当たりが良いことに加えて、お庭を眺めることができるからです。
 お家の大きさと比べると少し広めのお庭には、多くの草花や木が生えていて、季節によって異なる様相が楽しめます。お家のご主人の修也さんはそれほどお手入れをされていないのに、毎年ちゃんと色々な花が綺麗に咲くのが少し不思議な気がします。
 でも、きちんとお手入れのされて整ったお庭のようにとはいきませんが、植物達が好き勝手に己の身体を伸ばしている様子が私は好きです。
 今はまだ大部分が雪によって隠されてしまっていますが、雪が解けた所から順に草花は顔を覗かせてきています。端の方に植えられている木々も冬の間は堅く縮こまっていた芽を、柔らかく膨らせています。
 そうやって私とトラコさんがのんびりとしていると、不意に玄関のチャイムが鳴らされました。
 別のお部屋でがたごとと何かをしていた修也さんが慌てて出て行きます。
 ドアを開ける音に続いて、修也さんのいらっしゃいという声。
 お客さまのようです。それもなにやら親しげにお話をされているようなので、お知り合いのようです。
 そちらが気になるのか、寝転がっていたトラコさんが起き上がって玄関の方へと向かいました。
 私も興味があったのでトラコさんの後についていきます。
 このお家に郵便屋さんや宅配屋さんなど以外の誰かがやって来るのは珍しいことでした。
 トラコさんは賢い猫さんなので修也さんの言いつけを守って玄関から外へは出ません。ドアの所にいるお客さまを上り框からお出迎えしています。
 私は廊下から上半身だけ傾けてそっと玄関を覗き込みました。幽霊なので生きている人には見えないと分かっていても、見ず知らずの方と顔を合わせるのは緊張します。
 お客さまは修也さんよりもだいぶ若い――多分十代ぐらいの男の子でした。
 修也さんは気さくに話しかけていますが男の子は少し緊張しているようです。顔が少し強張っています。

「あ、話してただろう? こいつが同居猫のトラコさん」

 トラコさんに気が付いた修也さんが紹介しました。
 男の子の視線が修也さんから家の中へと向けられます。その途端、眉間に皺がよりました。瞳には険がこもっています。
 私は慌てて覗き込んでいた頭を引っ込めました。

「あれ、猫嫌いだったっけ?」

 修也さんはトラコさんを見て顔をしかめたと思ったようです。

「あ、いえ……ちょっと目がまだ暗いところに慣れていなくて……」

 修也さんはなるほど、と納得しました。
 でも、私は素直には信じられませんでした。何故なら、目が合ったからです。あの男の子はおそらく、私の姿を見たのです。そして幽霊だと分かったのでしょう。
 それで嫌そうに顔をしかめたに違いありません。
 修也さんが彼を中へと上げる様子を感じ取り、私は家の中へと戻りました。
 どこへ行こうか迷い、居間の隅の物陰に座り込みました。
 少しドキドキしています。でも同じくらいに悲しくもあります。
 ドキドキは私を見ることができる生きている人とこんな間近で会えたこと。悲しいのはその人が私を見て嫌そうな顔を浮かべたことです。
 でも幽霊を見て嬉しいなんて人はあまりいませんから、当然のことですね。
 修也さんは男の子を居間へ連れてきました。
 彼は家の中をきょろきょろと見回しています。
 私の姿にも気が付いているのでしょうが、今度は特に何も反応を示しませんでした。私に目を留めることも、逆に決して私の方を見ないようにするでもなく。視界に私を入れても、視線を滑らせてまるで見えてないようにしています。
 あまりにもそれが自然で、玄関でのことは私の勘違いだったのだろうかと思うほどでした。
 修也さんが台所に飲み物を取りに行くと、男の子は窓の方に近付いてきました。それはさっき私とトラコさんが日向ぼっこをしていた窓です。
 窓際に立って庭を眺めています。
 その足元にトラコさんが寄ってきました。甘えるように足元に身体を擦り付けています。
 男の子は一瞬戸惑ったようでしたが、すぐに身体を屈ませてその柔らかい身体を撫でてあげ初めました。
 彼の硬かった表情が和らぎます。
 トラコさんは十分に撫でてもらって気が済むと、来た時と同じようにふらりとどこかへと行ってしまいました。
 その行方を見ようと男の子が振り返った拍子に、私と目が合いました。
 うっかりしてしまったのでしょう。彼は眉をしかめて小さく舌打ちをしながら、すぐに視線を逸らしてしまいました。
 なんとなく居たたまれなくなって、私は居間から逃げ出しました。
 ドキドキよりも悲しい気持ちの方が強くなってしまいました。