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不意に風が吹いた。思いのほか強い風で、多くの花弁が散っていく。
枝から離れ空に舞う無数の花弁が冬子さんを取り巻いていた。
薄紅色の花の群れに姿を見失いかけ、継春は咄嗟に手を伸ばした。
腕を掴もうとした手は何も触れることはなくただ空をかく。
当たり前だ。彼女は幽霊なのだから。
「どうか、しましたか」
冬子さんはきょとんとした顔で首を傾げていた。
継春は行き先を見失った手をきゅっと握り締めた。
「……桜と一緒に、消えてしまうような気がして」
一緒にいることが当たり前になってしまって、この先もずっといられるような気がしていた。本来ならばそんなことはあり得ないのに。
冬子さんは、はにかむように笑みを浮かべた。
「大丈夫です、私は多分、消えることはありませんから」
「消えない?」
「私はきっと……迷子なんだと思います」
考えながら、冬子さんは答えてくれる。
「行かなくてはいけない場所があるというのは、知っているんです。でも……どこに行ったらいいのか分からないんです」
まるで何でもないように彼女は言っているが、それはとても大変なことなのではないかと思う。
行くべき所へ行けないということは、幽霊のままずっとこの世を漂っていないといけないということではないだろうか。
それはとても辛いことだと思う。
けれど同時に、少しほっとしている自分がいることにも気が付いていた。
彼女のことを思うのならば、行くべき所へ早く行けたほうがいいのに、当分は一緒にいられるのだと分かって、安堵してしまったのだ。
軽く唇を噛む。
「どうか、しましたか?」
冬子さんが心配そうに覗き込んでくる。
慌てて首を振ってなんでもないと答えて再び歩き出した。
彼女は少し不思議そうにしていたが、何も言わずに一緒についてくる。
満開の桜はとても綺麗なのに、せっかく冬子さんが案内してくれたのに、一旦沈みこんでしまった気分は、なかなか元通りに戻ってはくれなかった。