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 継春はうっすらと曇っている窓を手で拭って、覗き込むように外を見た。
 雪はまだちらちらと降ってはいたが、吹雪は収まっていた。
 椅子を机からひっぱってきて窓の前に置く。
 窓からの視界をもう少しだけ広げてから、スケッチブックと鉛筆を手に椅子に座る。
 窓の外に見えているのは、彼が物心ついてからずっと見てきた、何の変哲もない住宅街だ。
 他の季節ならば庭の植物なども見えるが、雪が積もってしまった今は、ただ真っ白な面白みもない景色でしかない。
 けれどその風景を彼はスケッチブックに描いていく。
 描きながら脳裏に浮かぶのは、居候させてもらっている叔父の家で一人留守番をしているであろう幽霊の少女のこと。
 物心つく以前から、継春の視界には生きてはいない者の姿が映っていた。
 何も知らない幼い頃は生きていない者と生きている者の区別などつかなかった。
 そのせいで周囲の大人たちからは気味悪がられ、同年代の子供たちからはいじめにも近い扱いを受けていた。
 おまけにその生きていない者たちは時折、継春に直接的な害を与えもした。
 ただ、幸いにも両親は彼を否定することはしなかった。所謂霊感のある子供なのだとおおらかに受け止めてくれた。
 それでも二人の視界には死んでいる者は映らないため、継春時折何もない誰もいない空間に離しかけたり、危ない目にあったりすることをどうにもできないでいた。
 元来彼は元気で人見知りしない活発な子供だったのだが、次第に物静かな内気な少年に変わってしまった。
 友達と外で駆け回ることはやめ、一人家にこもるようになってしまった。
 原因が分かっているため両親は無理に外に出すこともできず、どうしたものかと頭を悩ませていた。
 悩んだ末に彼らは息子に一冊のスケッチブックとクレヨンを買い与えた。
 それで見た物を描いて自分たちに見せて欲しいと言って。
 継春は言われたまま、小さな手でスケッチブックに見た物を描くようになった。
 初めは家の中の物を。けれど狭い家の中はすぐに描き尽くしてしまう。
 そうすると家の外に出るようになった。自宅の庭から始まり、隣近所の家々の庭、近くの公園と、足を伸ばすようになった。
 性に合っていたのか、継春は絵を描くことに夢中になっていった。
 スケッチブックのページが全て埋まってしまえば、また新しいスケッチブックを両親は買ってきた。クレヨンの他に色鉛筆や水彩絵の具なども惜しげもなく買い集め、彼らは継春にたくさんの絵を描かせた。
 継春は人と距離を置いてしまうことは変わらなかったものの、それでも閉じこもりっきりになってしまうことはなくなった。
 幽霊からの直接的な害も、徳が高いと有名な神社のお守りのおかげか、継春自身がそれなりの対処を覚えたためか、めったに受けることもなくなっていった。
 小学校、中学校と絵を描き続けた継春は、美術部の有名な高校へと進学する。
 それはあまり我が侭を言うことのない彼の、初めての強い要望だった。
 実家から通うには遠すぎる学校であったが、幸いにも近い場所に叔父の家があったため、そこから通うことになった。
 そこで継春は冬子と名乗る一人の幽霊の少女と出会う。
 油断していたため最初だけ目を合わせてしまったが、彼は彼女の存在を無視して叔父の家で生活を始めた。
 見えていることに気が付かれなければちょっかいを出されることは少ないと、それまでの経験から学んでいたからである。
 しばらくはそれでなんの問題もなく慣れない新しい日々を過ごせていた。
 彼が家にいる時に幽霊の少女がほとんど姿を見せなかったためでもある。
 彼女が彼に気を使って姿を見せないようにしていたのだと、今の彼は知っている。
 見て見ぬ振りの生活は継春が風邪を引いたのを切欠に崩れてしまう。
 けれど向き合ってみると、彼女は変わった幽霊だった。
 幽霊は大抵どこかの場所に縛られているもののようなのだが、彼女にはそれがないようだった。家に憑いているのかと思えばそうではなく、平気で外を出歩いている。
 継春はスケッチに出かけた公園でばったり出くわした時に酷く驚いたものだった。
 話すようになってしばらくしてから、休日に二人は一緒に出かけるようになった。
 一緒に出かけるとは言っても、継春はそうしゃべる性格でもなく、冬子も己が幽霊であるということを弁えてか、それほど多くはしゃべらなかった。
 ただ、側にいた。
 同じ物を見て、彼がスケッチブックに描くのを眺めていた。
 また、冬になると幽霊はぱたりと見えなくなるのだが、雪が地面を覆うようになっても彼女は相変わらず彼の前にいた。
 彼女本人もどうしてなのか理由は分からないのだと言っていた。
 ただ、ずっと冬は皆いなくなってしまうので寂しかったと彼女は言った。
 今年はけれど継春がいるので嬉しいとも。
 そう言っていた彼女は現在、叔父の家に一人でいるはずだ。
 どうしているだろうかと継春は鉛筆を走らせながら思う。
 いつものように窓辺に座って庭を眺めているのだろうか。
 それとも散歩に出かけているだろうか。
 継春は思う。
 幽霊の彼女と出会い、描いた物を見せるようになってから、他人の目を意識するようになった。
 悪い意味ではなく、良い意味で。
 彼女はこの絵を見たら何を思うか、喜んでくれるか、笑ってくれるか……。
 そんなことを考えながら継春は描くようになっていた。
 それまではただ、自分の描きたいものをただひたすらに描いていただけであった。
 そのせいなのかは分からないが、先日美術教師から良くなったと言われた。
 彼自身としては何かを変えという意識はあまりない。
 一つ息を吐き、継春は手を止めた。
 鉛筆を置いて、スケッチブックを閉じる。
 戻った後のことへ彼は思いをはせる。
 土産代わりにと描いたものを見せたら、彼女はきっとまずは驚いて、次いで嬉しそうに小さく笑うだろう。
 自分には見慣れてしまっているこの風景も、彼女の目には新鮮に映るに違いない。
 その表情を早く見たいと思った。