What meets the eye

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 こんにちは、冬子です。冬の子供と書いてトウコと言います。
 私は北の方の大地の大きな都市のはずれにある、小さなお家に居候させてもらっている幽霊です。
 八月も半ばを過ぎ、からりと晴れた気持ちの良い天気が続いています。
 お庭の植物たちもとても元気に背を伸ばしてたくさんの葉を茂らせています。
 居候させてもらっているお家の住人である継春くんの学校もそろそろ夏休みが終わるそうです。
 夏休みの初めに一緒に映画に連れて行ってもらってから、継春くんと色んな所に行っています。
 映画を見に行ったのはあの一回だけで、次からは結局スケッチを持ってのお出かけか、美術館や博物館めぐりに戻ってしまいましたけど。
 お出かけしない時は居間の窓辺に二人で並んで座って、私はのんびりと日向ぼっこ、継春くんはお庭のスケッチなんかをします。
 お家のご主人で継春くんの叔父さんである修也さんは、結局お絵描き関連のこと以外していない継春くんを見て少し苦笑していました。
 それでも、「まぁ、苦じゃないんなら良いんじゃないかな」とも言っていました。
 私も見ていて、継春くんは本当に絵を描くのが好きなのだなと思います。
 今日は街中まで出かけてきました。街の中心部を東西に走る大通りの公園に行ってきたのです。
 大通りの公園では季節ごとに色々な催し物をやっています。冬にはクリスマス市や雪祭り、夏にはビアガーデン、秋にはオータムフェストなど。
 催し物の度に広い公園内には色々な屋台が軒を連ねるそうです。
 今は大規模な催し物はやっていない時期でしたので、カキ氷などを売っている屋台がぽつぽつとあるだけでした。
 けれど小さいながらもお花のお祭りをやっていて、公園中に色々なお花が溢れていました。お花で模様が描かれていたる花壇や、お花で飾り付けられたベンチ、お花のアーチなどがありました。
 自然に咲いているお花も好きですけど、こういう手の加えられた飾り方をされているお花も私は嫌いじゃありません。
 天気も良く、小さな子供連れのご家族も多く見られました。
 その帰り道でのことです。
 お家の最寄り駅で降りて私と継春くんはのんびりと歩いていました。
 時間は太陽が天頂から傾いてきた頃です。
 大通りで見たお花で作られたお人形のことを話していました。
 話していたとは言っても、いつものように私が気の向くままにしゃべって、そこに時折継春くんが相槌や返事をしてくれるというものだったのですけど。
 不意に継春くんが道を逸れようとしました。
 私は慌てて声をかけました。

「どうしたんですか?」
「こっちの通りにすごいラベンダーだらけの庭があったのを思い出して……」

 けれど継春くんがそう言って示す方向には、道はありませんでした。
 少なくとも私には塀があるように見えました。
 私が戸惑っているのに気付かず、継春くんはそのまま塀の方へ進んで行きます。
 ぶつかる――と思った瞬間、継春くんの姿は見えなくなりました。

「どうかしたか?」

 塀の向こう側からでしょうか、継春くんの声が聞こえてきます。
 恐る恐るその塀に近付いてみました。
 私にはどうやってもそこに塀があるようにしか見えません。
 そっと手を伸ばしてみます。
 私は幽霊ですから物を動かしたりすることは出来ません。でも、触ることだけなら出来ます。
 伸ばした指先にコンクリートがぶつかりました。
 やはり塀はあるようです。
 おまけになんだか跳ね返されたような感じがしました。
 これはすり抜けて向こう側に行くことも出来ないようです。

「ごめんなさい。私はそちらの方には行けないみたいです」

 私はそこにいるのであろう継春くんに申し訳なく思いながら言いました。

「行けない?」

 継春くんの訝しそうな声がします。
 それと共に目の前に再び継春くんの姿が現れました。
 塀の中から突然現れたようでした。

「私にはそこに道があるように見えないんです」

 継春くんは私の言葉に目を瞬かせ、次いで背後を振り返りました。私には塀しか見えませんが、おそらく継春くんの目にはちゃんとした道と家並みが続いているように見えているのでしょう。
 顔を元に戻した継春くんは少し困ったような顔をしていましたが、そうなのか、とだけ呟くと、塀の前をあっさりと通り過ぎ、元の道を進み始めました。
 私もその後に続きます。
 なんとなく会話が途絶えてしまいました。
 今まで、何の疑問も抱かず、同じものを見ているのだと思っていました。
 けれどもしかすると、私が見ているものと、継春くんの目に見えているものは違うのかもしれません。
 そう思うと、なんだか悲しくなってしまいました。
 家に帰ると継春くんは部屋にこもってしまいました。
 夕食の時間になって修也さんが呼んで、ようやく出てきました。何故かスケッチブックを持っています。

「あれ、もしかして帰ってきてからずっと描いてたの?」
「はい……ちょっと、描きたくなって」
「よかったら何描いたのか後で見せてよ」

 いいですよと返事をしながら、継春くんは余っているイスの一つに無造作にスケッチブックを置きました。
 表紙ではなく、絵を描いていたページを一番上にしているようです。
 居間の窓の前の定位置からその様子を眺めていると、ちらりと継春くんが私を見ました。もちろん修也さんがいるので声をかけられることはありませんが、なんだか何かを言いたげな視線でした。
 私は軽く首を傾げます。
 継春くんは次にイスの上においたスケッチブックに目をやりました。そしてまた私を見ます。
 もしかしたら、私もスケッチブックを見ても良いということなのでしょうか。
 窓の前から離れて食卓に近付いてみました。
 修也さんがいる時にこうやって近くに寄ることはあまりないので少しドキドキしました。
 そっと近付いて、イスの上に置いてあるスケッチブックを覗き込んでみます。
 帰ってきてから数時間で描かれたものなので全体的にざっくりとした線になっていました。その代わりに色鉛筆で淡く彩色がされています。
 それは風景の絵でした。
 どこかのお家のお庭なのでしょう。奥に玄関があります。そこへと続く敷石が手前から右側にゆるやかな弧を描いています。そして紙面の中央から左側にかけての大部分が、紫の色で覆われています。
 私ははっとして顔を上げて継春くん見ました。
 けれど継春くんは私のことなど気にする様子もなく、修也さんと会話をしながら食事をしています。
 修也さんが目の前にいる時に幽霊である私に何かしらの反応を示すことができないのはしょうがないことです。
 だから私も修也さんがいる時に声をかけたりすることはありません。
 でも今は、継春くんにとても声をかけたくて堪りませんでした。
 私にとってこの絵の風景は初めて見るものです。
 もしかすると、この先も決して自分の目で実際のこの景色を見ることは出来ないかもしれません。
 それを継春くんも分かっていて、この絵を描いたのでしょう。
 私は同じ物が見られないことを悲しく思いました。
 継春くんも同じように思ってくれたのでしょうか。
 嬉しくて、胸が一杯で、悲しい気持ちは消えてしまいました。
 自然と笑みがこぼれます。
 後で、継春くんが一人になった時にでも伝えれば良いのでしょうが、今すぐにこの気持ちを伝えたいと思いました。
 だから、たった一言だけ、私はそっと口にしました。

「ありがとう」