「ごめんね」
クロスはもう一度呟いた。
その微笑みはどこか悲しげだった。
けれどそれは一瞬で消える。
「どうも、お騒がせしました」
振り向きながらクロスは明るく言った。
そこには玉座のようなイスに座る一人の女性。表情もなくクロスを見ている。
「どこに飛ばした」
その口から漏れた声は地を這うような低い声。
身動きするだけで、声を発するだけで他者に強い重圧を与える。それほどまでの圧倒的な強さ。破壊の力。
彼女こそが魔物たちの王。人々の恐れる魔王。
「もちろんお家まで無事送り届けましたよ」
けれどもクロスはセイルと話していた時と変わらずに微笑を浮かべたまま受け答えをする。
「さすがだな」
「いえいえ」
「そんなに奴が大切か」
魔王は口元だけを歪ませて言う。
「自分を犠牲にするほど」
クロスは魔王に近づき、イスの横に立つ。
「別に僕は犠牲だなんて思ってないよ」
「大勢の幸せのために自分の命までもを捧げるのを犠牲と言うのではないのか」
魔王はすぐ横に立ったクロスを軽く見上げて言った。
「そう思ってたのはあっち。セイルのほう。勇者の血を引いてるからって、皆のために命かけるだなんてね。あいつ、故郷に恋人残してきたのにね。でもそれで魔王を倒せるならいいさ。犠牲になった価値はある。まぁ、恋人は悲しむだろうけど、とりあえず皆は喜ぶ。大部分は幸せになる。だけどあいつの場合、ここに来るまでが精一杯。あなたになんて勝てっこなかった」
肩をすくめて言う。
「それじゃあただの犬死。闘うだけ無駄」
「おぬしが敵として向かってきていたならばわからぬぞ」
「無理無理。僕にはセイルほどのやる気がないからね」
「そうか……。では」
魔王は腕をすいと伸ばしクロスの首を掴んだ。
「おぬしの故郷を消滅させると言ったらどうする」
クロスは少し困った表情を浮かべた。
「それでも無理かな」
「ほう」
目を細め、魔王は手に力を込める。
少しだけ苦しそうにしながらも、クロスは動じない。
「ほら、神様って博愛主義でしょ。その血を引いてるせいか、僕、基本的にヒトを嫌いになれないんだよね」
そのまましばらく魔王はクロスの首を軽く締めていたが、クロスの微笑は崩れることはなかった。
「ふん」
魔王の手が首から離れ、クロスは小さく息を吐いた。
「だからあなたの話は渡りに船だったんだ。この方法だと皆幸せになれる」
「おぬしは」
「僕?」
クロスは驚いたように声を上げた。そんなことを言われるとは思ってもみなかったように。
「僕は幸せだよ。皆が幸せだと、僕も幸せ」
満面の笑みでクロスは答えた。
「それに魔王さまも美人さんだしね」
「戯言を」
笑いながら言うクロスに、魔王も微笑を浮かべ楽しげに言った。
その後、魔王及び魔物たちは忽然と姿を消した。
一説によれば、人間と魔物の争いを悲しんだ神が、魔物のための新しい世界を創り、皆そこへ移り住んだのだと言う。
真相は、定かではない――。
『取引をせぬか? 神の子よ。私にはこの世界を一瞬にして滅ぼす力がある。なれど私は人間との争いを望まぬ。神の血を色濃く受け継ぐそなたの力が欲しい。さすれば我ら魔物はこの世から消え去ろうぞ』
終わり