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 起きたら猫の耳が生えていた。おまけに尻尾までついていた。

「なんじゃあこりゃああああああああああああああああああああっ!」

 鏡の前で絶叫した俺を近所迷惑だなんて責めないで欲しい。
 とにかくそれくらい驚いたのだ。
 とりあえず落ち着かなければ、と思い深呼吸を二度繰り返した。
 すってーはいてーすってーはいてー。
 もういちど鏡を凝視した。
 やはり頭から猫耳が生えている。見間違いでも何でもない。猫耳だ。
 そしてゆっくりと手を頭、猫耳のところに持っていった。
 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……やっぱりある……。
 目の錯覚でも鏡に描いてあるのでもない。実際に頭から猫の耳が生えている。
 もしかするとただのおもちゃかも、と期待を込めて引っ張ってみたが……。
 しっかりと頭にくっついている。まるで元からそこにあったかのようにしっかりと生えている。
 俺が深くため息をついたところに、母親が覗きに来た。

「何騒いでんの?」

 隠す暇もなく、母親の目にばっちりと耳と尻尾が捉えられてしまった。

「あ、あのその……っ!」

 俺はどう言い訳をしようか、というか何を言ったらいいのかわからずに混乱していたのだが、母親は少しだけ目をみはるだけで、

「あらあらあらあらあらあらあら」

 などと言いながらさっとすばやく制服のズボンに尻尾を通す穴を作ってくれたりした。
 その反応はいささか間違っていると思うのは間違いなのだろうか……。

「母さん、今日休む……」
「何言ってんのよ。どこも悪くないんでしょ。ぐだぐだ言ってないでさっさとご飯食べちゃいなさい!」

 そういう問題じゃないだろう……。
 ため息を吐き、仕方なしに制服に着替えて食卓についた。
 父親は猫耳と尻尾を見て一言。

「最近の流行りか?」

 俺は深くため息を吐いた。



 かなり憂鬱な気持ちになりながら学校に行った。
 色んなとこから視線は感じるし、俺の近くには誰も近寄ってこないし。そんなに長くないはずの道のりが、かなり長く感じられた。
 ようやく教室までたどりつき、もうすでに今日数度目になるため息を吐いた。
 教室でも状況は変わらない。
 視線はたくさん感じるのに、誰も近寄ってこない。普段ならばすぐに声をかけてくるやつらも遠巻きに見ている。
 うぅ……恥ずかしい……。
 俯いてなるべく誰とも視線を合わせないようにしていると、ふっと目の前に誰かが立ったことに気付いた。
 恐る恐る見上げると、先輩――それも学校一美人だと噂の水倉 祥子先輩だった。
 なんで水倉先輩が俺の目の前に立ってるのかも、なんでどうどうと下級生の教室に入り込んでるのかも、俺には窺い知れないことだった。

「ちょっと」
「は、はい…」

 何かしただろうか。この人の機嫌を損ねると、親衛隊の人たちから制裁を加えられるっていう噂を聞いたことがあるが…。

「撫でまわさせていただける?」

 ………………………………………

「はい?」

 俺は耳を疑った。猫耳になってからいつもよりもよく聞こえるようになったから聞き間違いと言うことはないのだが、一瞬意味がつかめなかった。
 しかし俺のその言葉を肯定と取ったのか、先輩は頭とか喉とか耳とか尻尾とか撫でまわし始めた。

「ねこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」

黄色い歓声を上げながら……。



 ホームルームが始まるチャイムが鳴って、ようやく俺は先輩から解放された。

「また来るからね〜〜子猫ちゃん!」

 先輩は満面の笑みで足取りも軽く去っていく。
 こういうのも役得と言うのだろうか。
 しかし、これはこれで親衛隊の反応が怖かった……。
 先輩が教室を出て行ってからすぐに先生――数学教師の佐竹 悠司が入ってきた。

「お前ら座れー。ホームルーム始めるぞー」

 いつもどこかやる気のなさそうな先生だ。
 そういえば、猫好きで有名だったなぁ、などとぼんやりと考えてると、ばっちりと目が合ってしまった。
 見つめ合うこと数秒。

「あとで俺のところに来るように」

 それだけ言うと、先生は何事もなかったかのようにホームルームを始めた。
 俺のこと、だよな……。
 深くため息を吐いた。



 俺は机に突っ伏して疲れきっていた。
 あの後、ホームルームが終わってから先生のところに行くと、にこにこにこにこにこにこと満面の笑みでしばらく――授業が始まるチャイムが鳴るまで、頭を撫でられ続けた。
 そして授業が終わるたびごとに水倉先輩か先生、あるいは両方がやって来て俺を撫で続けた。
 撫でられているだけなのだが、酷く疲れるのだ。精神が。
 おまけに授業中は教師やクラスメイトの視線に晒され、気が休まらない。
 それで俺は昼休みになるなり、挨拶もそこそこに教室を逃げだして図書室に駆け込んだと言うわけである。
 図書室にはいつもほとんど人はいないし、俺が座っている場所はドアのとこからは死角となっているので、簡単には見つからないだろう。
 昼休みの間中――四十五分間もずっと撫でられていたら、俺はきっと過労で倒れるだろう。断定する。俺は倒れる!
 とにかく、もうゆっくり休みたかった。
 俺がそんな風にぐったりしていると、誰かが近寄ってくる気配がした。どうにも猫耳のおかげでそういうことには敏感になったようだ。
 一応すぐにでも逃げ出せるように体勢を整えながら、恐る恐る振り返ると、司書の井上 文子さんだった。
 水倉先輩でも佐竹先生でもなかったのでほっと肩をなでおろす。
 いや、油断はできない。もしかしたらこの司書さんも猫好きかもしれないのだ。
 イスの真後ろに立つ司書さんからじりじりと後退りながら俺は聞いてみた。

「あ、あの! 井上さんは猫好きですか?」
「ん? 私は猫派か犬派かと聞かれれば、断然うさぎ派と答えるぞ」

 答えになってないような答えだが、とりあえず司書さんは猫好きではないらしい。
 今度こそ安心した。

「ところでここは図書室だな」
「え? はい、そうですね……」

 俺は司書さんの言葉の意図がつかめず、首を傾げながら頷いた。

「図書室というものは、大抵において動物は立ち入り禁止だな」
「そうなんですか?」
「そうなんだ」

……………………
俺は図書室から放り出された。
ええと、つまり……俺が動物だと……?

「み〜つけたv」

 背後から聞こえた声に俺は硬直した。
 ゆっくりと振り返るとそこには水倉先輩が…。
 俺は深くため息を吐いた。