And you

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 冬が過ぎ、春が来て、夏を越し、秋を向かえ、また冬が来ます。
 季節は止まらずに巡り続けます。
 時が過ぎるのと共に思い出は増え、楽しい記憶が積み重なっていきます。
 クリスマス、正月、バレンタインデイ、雛祭り、ホワイトデイ、七夕……。
 特別な日ではなくても、毎日が輝いていました。
 共に過ごす貴方がいたから。
 それだけで、幸せでした。
 冬の朝は暗く、静かです。
 それでも平日は学校があるため継春くんはいつも同じ時間に起きています。
 今日も欠伸をしながら部屋から出てきました。
 すかさずトラコさんが挨拶をしに足元へ寄っていきます。
 私も座っていた窓の前から立ち上がりました。

「おはよう……トラコさん」

 継春くんは軽く腰をかがめてトラコさんの顎の下辺りを軽くかいてあげています。
 満足した様子でトラコさんが離れていくと継春くんも身体を起こしました。
 私も挨拶をしようとし口を開き、けれど何も言えずに固まりました。
 継春くんの視線が、私の上を通り過ぎたからです。
 何かを探すようにきょろきょろと部屋の中を見回しています。
 私は、目の前にいるのに。
 継春くんが首を傾げます。
 そして一人呟きました。

「あれ、冬子さん、いないのか……」






 カーテン越しに朝の柔らかな光が家の中に差し込んでいる。
 思い出したように冷たい風が吹くこともあるが、もう随分と暖かくなった。
 継春は居間のカーテンを開けながら庭を眺めた。
 少し前まで庭を真っ白にしていた雪も、いまやほとんどが融けている。
 黒い地面のあちらこちらからは小さな芽が頭を出し、身体を伸ばしているのが見える。
 早いものではもう蕾を膨らませているものもあった。
 冬は終わったのだと彼は思う。
 足元にするりと触れてくる感触に目を落とせば、猫が擦り寄ってきていた。

「や、おはよう、クツシタ」

 呼びかけたその名の通り、猫は靴下を履いているように足先だけが黒かった
 挨拶が済むと、クツシタは離れていく。
 それを見送り、再び庭に目を戻す。
 見慣れた景色だが、見るたびに気付くことがあり、いつだって新鮮な気持ちにさせられる景色だった。

「息抜きにまた描こうかなぁ」

 最近は少し根を詰めすぎていたから、気分転換に描くのもいいかもしれないと考える。
 ふと視界の隅に何かが映った。
 はっと息を飲み、慌てて窓を開ける。
 庭に降りるためのサンダルを探し、けれどすぐにまだ出していなかったことを思い出す。
 玄関に取りに行くのももどかしく、素足のまま、彼は庭に足を下ろした。
 小石を踏んだ痛みも、湿った土の冷たさも感じなかった。
 ここ数年感じていた節々の痛みや身体の重さもどこかへいっていた。
 庭の隅の蕾が膨らみ始めているクロッカスの前に彼女がしゃがみこんでいる。
 かつて目にしていた姿と何一つ変わっていない姿の彼女が――

「冬子さん!」

 継春の声に彼女が顔を上げた。
 少し驚いたように、目を見開く。
 そして何かに気が付いたのか、悲しそうな色が瞳に乗る。

「冬子さん」

 継春はもう一度名前を呼ぶ。
 彼女は立ち上がった。

「冬子さん」

 言いたいことは沢山あったはずなのに、いざとなってみると何の言葉も出てこなかった。

「継春くん……」

 久しぶりに聞く彼女の声。
 継春は手を伸ばした。
 手が手に触れる。
 彼女は反射的に手を引こうとしたが、継春はその前に掴んでしまう。
 きゅっと握り締める。
 かつては触れたくても触れることのできなかった彼女の身体。

「ごめん……待たせた、かな?」

 彼女は首を振り、手を握り返してくれる。
 じわりと暖かかった。手ではなく、心が。

「もっとゆっくりだって、良かったんですよ」
「これでも十分ゆっくりしてきたつもりなんだけどなぁ」

 苦笑しながら答える。

「のんびり色んな話もしたいところだけど……」
「行かないとダメですよ」

 諭すように言われずとも、行くべき場所も、どうすべきかも、不思議と分かっていた。
 だからぎゅっと手を握った。
 離さないように。

「うん、一緒にね」

 彼女は目を瞬き、それから嬉しそうに笑った。

「はい」