生きる

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「あ……」

 何が、起きたのか。
 何が、起きているのか。
 わからなかった。
 彼が地面に寝そべり、ここではないどこかを、ボクではない誰かを見ている。
 どこからか赤い水が流れ来て、彼の服を真っ赤に染めていく。
 ごぷりと、彼の口からも赤い水がこぼれ落ちる。

「あ、」

 わからなかった。
 けれど、感じていた。

「あ、あ、」

 抜けていく。
 彼から命が。
 消えていく。
 とっさにそれを押し戻そうと手を伸ばすけれど、それはボクの手をすり抜けて。

「あ、だめ、まって、まって」

 わからなかった。
 どうすればいいのか。
 いつも教えてくれる彼が、今、消えようとしている。

「だめ、だめ」

 ボクは彼の体に覆いかぶさって、ぎゅっと抱きしめた。
 これ以上、彼の命が消えないように。
 赤い水がボクの服も染めていく。

「まって、だめ」

 ひゅうっと、彼の喉が鳴る。
 見れば彼の口元がかすかに動いている。
 赤い水をこぼしながら、音にはならない言葉を紡ぎだす。
 頬を流れるものは何だろう。
 胸が、苦しい。

「だめ……だめ……」

 目をぎゅっと閉じて、彼の胸に顔を押し付ける。
 頭が熱い。
 けれど、彼の体は冷たくて。
 ボクの熱が彼に移れば良いのにと思う。

「いかないで」

 吐息と共に吐き出した言葉に思いを乗せる。

「いかないで」

 言葉に力を込める。

「いかないで」



 ぼんやりと目を開き、ゆっくりと身体を起こす。
 そして、

「ああ……」

 理解する。
 自分がしたことを。
 増した知識により、以前よりも明確に物事が理解できる。

「ああ」

 血が、彼の身体を、地面を、そして僕を濡らしている。

「ああ」

 湧き上がるのは、生への歓喜と絶望、してしまったことへの後悔と安堵。
 相反する思いが胸に渦巻く。

「ごめんなさい」

 誰に向けての謝罪だろうか。

「ごめん」

 誰に対して謝るのだろう。
 僕はもう物となってしまった彼の身体を見下ろした。
 涙が落ちる。
 彼は、彼の中身は、肉体から抜けてしまった。
 けれど、彼はここにいる。僕の中に。
 消えていく彼の命を私の中に留め、その記憶を受け継いだ。
 目覚めたばかりでほとんどまっさらだった僕の中に、彼の思いは書き込まれた。

「ああ」

 僕は彼となった。

「ああ……」

 涙が零れる。
 何を泣くことがあるだろう。
 彼の肉体は損なわれても、僕の中で彼は生きる。
 けれど、

「ああ」

 僕の中の彼が涙を流す。

「ごめん」

 行き先を失った言葉が宙に浮く。

「ごめんなさい」

 誰に言えば良いのだろう。

終わり