終焉

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 たとえば明日、世界が終わるとして――



 カトウ・シイナ・タニ・ヒノの四人はそれが常であるように、狭い部室で講義と講義の間の暇を無為に過ごしていた。
 外は雨が降っている。窓から外の様子を窺うことの出来ないほどの土砂降りの雨だ。
 シイナは窓際の木のベンチに座り、静かに本を読んでいる。それも残り数ページというところまできていて、もうすぐ読み終わりそうだった。
 その横の机でヒノは忙しなくキーボードを叩いている。生まれながらの目つきの悪さに加え、視力の低下の影響により、部室の古いパソコンのモニターを見つめる彼の目つきはまるで誰かを射殺さんばかりであった。
 さらにその隣でカトウとタニは向かい合わせのソファに座って、他人にとってはどうでもいい、だが二人にとっては大切な話で盛り上がっている。カトウが手足を大げさに動かして熱弁を振るい、タニも壊れたソファの窪みに身体をはめ込むように座りながら熱く言葉を返している。

「なぁ、明日世界が滅亡するとしたらどうする?」

 その最中に、思い出したようにカトウが言った。

「滅亡〜? なんだよ突然」

 突然の話の飛びっぷりにタニは間の抜けた声を上げた。二人は今まで実写映画化された某有名漫画について討論していたはずであった。

「いや、昨日でっかい隕石が地球にぶつかるっていうテレビ見たからさ」
「映画か?」
「や、NHKの教育番組みたいの。もし地球にでっかい隕石が向かってきても、今の技術じゃどうしようもないんだってさ」

 カトウの説明にタニは首を傾げる。

「ミサイルとかで壊せねーの?」
「詳しいこと忘れたけど核兵器でも無理らしい」
「へぇー」
「で、もしそうなったら、お前ならどうする?」

 面白そうに聞いてくるカトウにタニはううむと考え出す。

「小説やら漫画やら映画なら、主人公が命と引き換えに世界が崩壊するのを食い止めて英雄になるところだが」
「お前が主人公かよ」
「命かけたくないんでその他大勢でお願いします」
「脇役でもないのか!」
「もし……」

 げらげらと笑う二人に、パソコンをにらみつけたままのヒノがポツリとつぶやく。

「もし明日世界が終わるっていうんなら、オレは世界が終わる前にこれを最高の出来で完成させて見せる……!」

 ヒノの背後には無意味にめらめらと情熱の炎が燃え盛っている。

「おぉ……これぞまさしく逆境!」
「明日世界が終わんなくても今日中にそれ書き上げろよ」

 タニの冷静なつっこみにヒノはがっくりと肩を落とした。

「そんなことわかってるさ!」

 ヒノは少し泣きそうな感じだった。

「シイナはどうする?」

 カトウは本から顔を上げたシイナにも話し掛けた。

「ん? 世界が終わったらって話?」
「そうそう」
「んーそうだなぁ……。いつもとたいして変わったことはしないんじゃないかな」
「お、まともな答えだ」
「朝起きて、ご飯を食べて、部室に来て、こうやって皆でどうでもいいような話して、いつ世界が終わっちゃったのかも気付かない感じ。そんな感じが良いな」
「それってつまり、オレたちにもいつもと変わらないことをしろと強要してるのか!」
「そうそう」

 大げさに言うカトウにシイナは笑って頷いた。

「世界最後の日に野郎四人集まってくだらない話で盛り上がるのかぁ? さっみしいなぁー」

 苦笑いするタニに、ようやくパソコンから視線を外したヒノは肩をすくめる。

「いいんじゃねーの。馬鹿っぽくて」
「たしかに馬鹿っぽい!」

 カトウがげらげら笑うのにつられてタニも笑う。
 それを遮るように突然そっけない機械音が鳴り出した。音の出所は無造作に机の上に置かれたカトウの携帯だった。
 ふと気が付いたように時計を見て、シイナは腰を上げた。
 それに気付いてヒノが声をかける。

「帰るのか?」
「うん。お疲れさま。原稿がんばれよ。」
「おう、お疲れさん」

 笑いながら言うシイナに、ヒノはがっくり肩を落としながらも手をあげて答えた。

「お疲れー」

 ドアに向かうシイナにタニも声をかけ、携帯を取ったカトウは手だけを上げた。

「もしもしー?」

 シイナは最後にもう一度お疲れさまと言って、部室のドアをくぐっていった。その表情は最後まで笑顔だった。
 いつもと変わらずに。
 ヒノは再びパソコンに向き直り、タニはソファに座りなおしてマンガを読み始めた。
 カトウは小さな携帯から伝えられる言葉に目を丸くする。

「――え?」

 性質の悪い冗談だと笑い飛ばそうとしたが、相手の声のあまりの真剣さに口を閉じ、今しがたシイナがくぐって出て行ったドアを見つめた。



 カトウ・タニ・ヒノの三人は狭い部室で無為に過ごしていた。いつものように、と言うには一人足りなかった。
 三人は窮屈そうに黒いスーツを身にまとい、黙ったままぼんやりとそれぞれ椅子に腰かけている。その様子もいつもと同じとは言いがたかった。

「明日世界が終わるなら、か」

 ヒノがぽつりとつぶやいた。
 それを契機に、カトウが大きく息を吐く。

「バカみたいだな。雨で濡れた床で滑って階段転げ落ちて打ち所悪くてご臨終なんて」

 口調だけはいつものように冗談めかしていたが、その表情はいつもとは違い沈痛な表情を浮かべていた。

「だけど自分で言ってた通りに最後の日過ごせたんだから、満足だったんじゃないか?」
「そうかもな」

 タニの言葉にヒノは頷いた。
 あの大雨の日、シイナは大学に向かう途中に地下鉄の階段から転げ落ちて亡くなったのだという。それでもシイナはいつもと変わらずにやって来て、くだらない話をして帰っていった。
 世界が終わったことにも気付かずに。
 三人はぼんやりとあの日シイナが座っていた窓際のベンチを見た。
 窓の外には綺麗な青空が広がっていた。

終わり