天使

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 ここに一枚の写真がある。
 そんなことを見知らぬ男が言い出した。
 おまけに怪しい男だ。変な格好をしている。
 具体的にどんな格好かというと、全身真っ白なだぼっとした服に、背中に作り物チックな堅そうなこれまた真っ白い翼を背負って、頭に薄い黄色のわっかを乗せている。もちろんそのわっかは浮いているとかそんなことはなくて、針金だかピアノ線だか知らないが、金属の細い棒で頭に取り付けられている。
 そう、あれだ。典型的な天使の格好だ。正確に言えば天使のコスプレ。
 天使さまなわけだから、顔のほうも結構整っていて、髪も金髪でそこそこ長くてくるくるしている。もちろん背だって無駄に高い。私との身長さおよそ頭二つ分。
 私が小さいとかいうつっこみは素敵な感じに無視をする方向で。
 そこまではいい。いや、よくないけど、いいとしよう。
 すばらしく典型的な模範的な天使さまだ。
 なのに柄の悪いサングラスをかけている。
 えらく似合わない。
 とりあえず私はその天使さまに聞いてみた。

「あなた誰ですか? つーかここどこですか?」

 たしか私は大好きな作家さんの新刊が今日出るからって喜び勇んで本屋に行ったらまだ置いていなくて絶望に打ちひしがれて北海道のバカヤロウとか思いながらコンクリートで舗装された道を歩いていたはず。
 しかしここは真っ白というか真っ黒というか真紫というか。何だか変な色のした不思議空間だ。
 いつの間に迷い込んだのか連れ込まれたのか瞬間移動したのか。

「細かいことは気にするな」

 柄の悪い天使さまは冷たかった。

「気になります」
「するな」
「なります」

 何故だかそのままにらみ合いに突入する。天使さまはサングラスをかけているので視線が合っているのかわからないが。
 だけど根負けしたのは向こうだった。先に視線を逸らした。サングラスをかけているから視線なんてわからないけど、顔を逸らしたから多分視線だって逸れているはず。
 なんとなく嬉しくて小さくガッツポーズをしてみた。

「ここに一枚の写真がある」

 天使さまは負けたのに最初の台詞を繰り返した。
 私もまた同じ質問をしてやろうかと思ったが、話が進まなくなりそうなのでやめておく。代わりに天使さまの持つ写真を見た。
 包帯でぐるぐる巻きの人間らしき物体がベッドに横になっている姿が映っている。ミイラ、じゃなくて重体患者だと一目でわかる。

「これが何か?」
「現在のあんただ」

 その言葉を熟考すること数十秒。

「はあ?」

 よく理解できなかった。
 現在の私と言われても、私はここにいる。

「あんたは今、生死の境をさまよってるんだ」

 えーと、つまりあれですか。ここが生と死の境だと言いたいわけですか。
 たしかになんか薄ぼんやりとしてよくわからない場所ではある。

「そんなわけで悪と闘う正義の味方になってみたりする気はないか?」
「ありません」

 とりあえず即答してみた。正直、頭の中身はまったく話についていけていないが、返事はノリと反射でするものだと私は勝手に思い込んでいる。

「正義の味方になると、人とは違ったことができる超人的な能力が備わったり、重体でもなかなか死なない丈夫な体になったり、グッズが売れて金ががっぼがっぼ入ってきたりする」
「う……」

 金ががっぼがっぼ入ってくるという誘い文句には少し心が揺れる。
 そんな私の心情を察してか、天使さまはここぞとばかりに言い募る。

「今募集しているのは魔女っ子だ。今ならサービス期間中につき、コスチュームを全一〇五種類の中から自分で選べ、アドバイザーとして犬、猫、ウサギ、亀、タヌキ、熊、クラゲのいずれかのしゃべる動物型不思議生物がついてくる」
「クラゲって海にいるあのクラゲですか?」

 つい聞いてしまった。

「漢字で書くと海の月とか水の母とかで、ちょっと格好良く感じるが実際は全然まったくそんなことはないあの海にいるクラゲだ。ちなみにクラゲ型を選ぶと、白、青、水色、黄色、緑、オレンジ、ショッキングピンクの七色の中から好きな色を選ぶことが出来る」
「そこまで言うんなら、やってみてもいいです。悪がはびこるこの世界に正義の味方は一人でも多いほうがいいですもんね」

 決してショッキングピンクのクラゲを見てみたいなんて興味からではない。
 私が魔女っ子になることを承諾すると、天使さまはどこからともなく一枚の書類と朱肉を取り出した。

「この書類に拇印をお押してくれ」

 なになに、契約書……。あれ?

「あの、名前が違うんですけど」
「なに?」

 眉をしかめる天使さまに私は書類の名前の部分を示しながら言う。

「私の名前、荻野なんですけど、これ萩野になってます」

 荻と萩、よく間違われるんだよね。まさかこんなところでも間違われるとは思ってもみなかったけど。
 天使さまは書類と私を見比べる。

「萩野佳奈、じゃなく?」
「荻野佳奈、二十二歳です」

 私がそう言うと、天使さまは大きなため息を吐いた。

「ため息を吐くと幸せが逃げますよ」
「大間違いだ」
「ちょっと名前を間違えたくらいで大げさな」
「違う。名前はあっている」

 ん? ということは、つまり。

「魔女っ子になるのは、私ではなく……」
「萩野佳奈という別の少女だ。ちなみに魔女っ子には年齢制限があるから、どうころんでもあんたは無理」

 ………………。

「くそ、やっぱり最初に名前と年齢を確認するべきだったな……」

 天使さまはぐちぐちとそんなことを呟きながら書類と朱肉を取り出したときと同じように忽然と消し去り、ついでに自分も消えた。
 残されたのは私一人。
 立ち尽くして呆然としながら思考が回転する。
 え、ちょっと、私はいったいどうしたら。というか、さっきの写真が本当なら私って今死にかけ? というかこのまま死ぬの? 楽しみにしていた新刊も読めずに、人間違いをされた挙句に?
 ようやく頭の理解が追いついてきて、同時になんだか怒りもわいてくる。
 間違えといて、謝罪も説明も慰謝料も何もなく、こんなどことも知れない場所に置き去り!

「天使さまのバカヤロォー!!」



 次の瞬間、気が付けば私は病院のベッドの上にいた。どうやら死ぬことは免れたらしい。体中包帯でぐるぐるでまったく動けないけど。
 怒りが生きる力になったのか、天使さまがお詫びに助けてくれたのか。
 まぁ、どうでもいいか。

終わり