Text


 辺りがすっかり夜の帳に包まれてしまった頃、アーリヤは誰にも気付かれないようにひっそりと寮の部屋から抜け出した。
 何か目的があるわけではない。ただ、見上げた月があまりにも綺麗だったから。ただそれだけだ。
 すっかり暗くなってしまったので外を歩く人影は見当たらないものの、万が一見つかると厄介なので、一応周囲を気にしながら物影を伝っていく。
 特にエリュなんかに見つかったら大目玉だと、アーリヤは生真面目な友人を思い浮かべる。
 だって月が綺麗だったから、なんて理由は彼女には絶対受け入れてもらえないだろう。
 もう少しゆるく生きればいいのにと彼女は思う。
 こちらに来てからは寮の規則などのためにほとんど夜出歩くことはないが、故郷ではよくしていたことだ。それこそ今日のように月が綺麗だからだとか、月明かりの中で花見をしたり、肝試しなどもしたりした。それは子供だけでやることもあれば、大人たちが賑やかに参加することもあった。
 アーリヤにとって、いや彼女の故郷の者たちにとって、夜とは恐れるべきものではなかった。特にこんな月の明るい夜は、いっそう楽しむべきものだった。
 どこに行こうかと考えながらアーリヤは寮の建物から離れ、物影を伝って昼間は人の多い校舎の横を通り過ぎる。
 街中の酒場などが立ち並ぶ付近はまだ賑わっているだろうが、さすがにそこまでするのには気が引けた。それに、どちらかといえば今は騒ぐよりも静かにこの月夜を楽しみたかった。
 どこに向かうのかも決めぬままにふらふらと気の向くままに歩いていたアーリヤは、裏庭へと続く小路でふと足を止めた。
 昼間に通る時には気付かなかったが、路の脇の花壇に月見夜草がたくさん植えられていた。月見夜草はその名の通り月の見える夜にしか花を咲かせない植物なのだから、昼間に気が付かないのも当たり前のことかもしれない。
 この小ぶりな月光のような白い花を咲かせる草は、アーリヤの故郷でもよく見られるものだった。
 その花をアーリヤは一輪摘むと、目を閉じてそっと匂いをかいだ。爽やかな、けれどかすかに甘い匂いが鼻の中を通り抜けていく。
 故郷でかいだのと同じ匂いに、アーリヤは笑みをこぼす。

「月下の香 しじまによりて 匂い立つ」

 小さな頃に誰かに教えられた詩を口ずさみながら、アーリヤは再び歩き始めた。
 花を片手に月を楽しむ夜の散歩は、月が傾き始めるまで続いた。


 もちろん、次の日に寝坊して怒られたことは言うまでもないこと。

終わり