花と歌

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 とある国のとあるにぎやかな街の街角に、少女が一人、色鮮やかな花でいっぱいの籠を持って立っていました。花売りの少女です。少女は毎日、その時間の、その場所で、道行く人に花を売っていました。花はあまり売れませんでしたが、それでもまれに、機嫌の良い人や、懐に余裕のある知り合いが通りかかれば花を買ってくれました。
 少女がいつも立つ場所の真向かいには、毎週休みの日だけ、まるで玩具のような小さな弦楽器を抱えた青年が立ちました。青年はどうやら吟遊詩人の卵のようでした。毎週、その時間、その場所で、楽器の弦を爪弾いて歌を歌いました。時々通りかかる人の要望に答えることもありました。
 毎日、その時間、その場所に立つ少女と、毎週、その時間、その場所に立つ青年は、自然と顔なじみになりました。
 いつも先にその場所にやって来るのは少女のほうでした。少し経ってから青年はやって来ます。青年はやって来るといつもまず初めに少女に声をかけました。

「おはよう。今日は天気が良いね」

 青年が笑顔で挨拶してくるのに、少女も笑顔で返します。そしていつも最初の一曲目を要望しました。少女が頼む曲はいつも同じなので、歌の名前を聞かなくても青年にはわかりましたが、それでも少女はまるで何かの儀式のように毎回曲名を口に乗せました。

「花を貴女に」

 それはあまり有名な曲ではありませんでしたが、ゆっくりした調子の明るく優しい歌でした。
 日暮れ頃になると少女は帰り支度を始めます。そうすると今度は青年がこう言います。

「花を一輪もらえるかな」

 少女はいつも売れ残った花の中で一番元気な花を青年にあげました。青年は買った花を胸に飾り、夜更けまでその場所で歌うのです。

「明日からの一週間が良い毎日でありますように」
「聖霊の加護が貴方にありますように」

 そうやって二人はいつも笑顔で挨拶を交わして別れます。そして次の休みの日にはまた笑顔の挨拶で一日を始めるのでした。


 ある休みの日、少女がいつもの場所に立ってしばらく経っても、青年はやって来ませんでした。時間が経っても一向に青年は現れず、とうとうその日は来ませんでした。少女がその場所で花を売るよいうになってから、休みの日に青年が来ないことなど一度もなかったので、少女はひどく心配しました。
 風邪を引いたのでしょうか。それとも怪我でもしたのでしょうか。
 少女は花を売りながら、休みの日だけ青年が立っている場所を見て青年のことを考えました。そのせいで、次の休みの日までの一週間、少女はあまり笑顔を浮かべることができませんでした。
 そしてまた休みの日がやって来ました。少女はいつもの時間、いつもの場所に立つと、青年がやって来るのを待ちました。けれど一週間前の休みと同じように、青年は来ませんでした。
 もしかしたら昼間は何か用事ができて夜だけ来るのかもしれない。
 少女はそう考えて、帰る時間になってもそこに立っていました。沈んでいく太陽が橙色に空を染め、そして見えなくなって夜が空を覆っても、青年は来ませんでした。少女はいつも青年が立っていた場所をじっと見つめました。
 もしかしたら……もしかしたら、吟遊詩人として旅立ってしまったのかもしれない。
 少女はとぼとぼと家路につきながら考えました。売れ残った籠の中の花と同じように、少女もうな垂れていました。
 次の一週間、少女はひどく沈んだ顔をしていつもの場所で花を売りました。花を買ってくれたお客さんがどうしたのかと心配そうに尋ねた時だけ、何でもないと繕った笑顔を浮かべました。
 そしてまた休みの日が来ました。いつもと変わらず、少女は同じ時間、同じ場所に立って花を売ります。ただ、違うのは少女の真向かいの場所に青年がいないことだけです。時間になってもやはり青年は現れず、少女はうつむきました。心なしか籠の中の花もどこか元気がないように見えました。
 そうしていると、その日最初のお客さんが少女の前に立ちました。我に返って顔を上げた少女は大きな目をさらに大きく見開きました。

「おはよう。今日は天気が良いね」

 にっこり笑って挨拶をしたのはあの青年でした。けれどいつものよれよれの服ではなく、立派で上等な服を着ていました。髪の毛をきちんと整えられ、まるで別人のようでした。
 呆然としている少女にさらに青年は言います。

「花をもらえるかな。あるだけ全部」

 何が何だかわからなくて、少女は言われるがまま、花でいっぱいの籠を青年に差し出しました。それを受け取った青年はその籠の中から一輪だけ花を取り出して、少女の髪に飾りました。赤い花が綺麗な黒い髪にとても映えました。
 青年には色々と言いたいことや聞きたいことがありましたが、それらをどうにか呑みこんで、少女は笑顔を浮かべました。

「歌を一曲、頼んでも良いですか?」

終わり