村のすぐそばには深い森が広がっています。
大人たちは危ないから近寄ってはいけないと口をそろえて言いますが、村の子どもで森に行ったことのない子なんて一人もいません。
大人たちがダメというほどに子どもたちは興味津々で、度胸試しのように森に遊びに行きます。
もちろんばれたら怒られますから、こっそりと。
森は子どもたちには良い遊び場なのです。
もちろん、奥のほうまで入っていくようなことはしません。迷子にならない程度に浅い付近で遊ぶのが暗黙の了解となっています。
森の中にはちょうどよく、少し分け入ったところに目印となるような木が一本ありました。周囲の木々に比べて幹回りが太く、そして根元近くに大きな――子どもの頭が入るぐらいの洞が空いています。
「その木の向こう側には決して行かないこと」
誰が言い出したのかは分かりませんが、子どもたちは皆そのことだけは守って遊んでいました。
ある時、一人の子どもが森で物を失くしてしまいました。
出稼ぎで村を出ている歳の離れた兄から貰ったブローチです。とても大切にしていて、いつでも身に着けていました。
けれど遊んでいるうちにいつの間にか留めていたピンが取れてどこかで落としてしまったのでしょう。
気が付いたのは家に戻る途中で、もう日は傾きかけていました。
これから森に探しに戻ることはできません。
子どもはすぐにでも探しに行きたいのをこらえて家に帰るしかありませんでした。
母親は子どもがいつもつけているブローチをしていないことに気が付きました。
「あら、お兄ちゃんのブローチはどうしたの?」
子どもは慌てます。まさか森で失くしたなどと本当のことは言えません。
「だ、大事なものはいっつも持ってるより、しまっといたほうがいいって聞いたから!」
「あらそう。持ち歩いてたら落としたりして失くしちゃうかもしれないものね」
「うん……」
まさかすでにそうなってしまったとは到底言えません。
次の日、親の手伝いなどをし終えて遊びに行けるようになると、子どもは一目散に森へと向かっていきました。
昨日遊んだ付近を懸命に探したけれど、見つかりません。友だちも一緒に探してくれたのですが、結局見つかりませんでした。
「もしかしたら落としたの森じゃないのかも」
「明日は違うとこ探してみよう?」
友だちは口々に慰めてくれました。
けれど大切なブローチを見つけられなかった子どもは、傍目から見ても分かるほどに落ち込んでしまっています。
明日も探す約束をして、足取り重くとぼとぼと家へと帰りました。
見つからないかもしれないと、子どもは泣きそうになりながら思います。
昨日、森に入る前にはちゃんとブローチが服に止まっていたのを覚えているのです。だから森の中で落としたのは確かなはずなのです。
けれど一所懸命探したのに見つかりませんでした。
見つからないかもしれない。そう思うと涙がこぼれそうでした。
それでも子どもはぐっと堪えて駆け出しました。
急いで家へと帰ると、子どもは一緒に住んでいる祖母の元へと駆け込みます。
「あらあらどうしたの?」
泣きそうになっている孫を優しく抱きしめながら祖母は問いました。
子どもは森で大切なブローチを失くしたことを打ち明けました。そして今日、探したけれども見つからなかったことも。
「あらまあ」
村の大人たちの多くは森に入ってはいけないと言いますが、実はそうではない大人もほんの少しだけいるのです。祖母はその一人でした。
彼女は森に入ってはいけないとは言いません。その代わりに「森には神さまがいらっしゃるから、あんまり騒がしくしてはダメ」と。
子どもは祖母に話をねだりました。
「神さまに会ったことある?」
「そうね、一度だけ。会ったというか、お見かけしただけで、遠くて薄暗かったからよくは見えなかったけれど」
「どんなだった?」
「恐ろしいけれど、優しい方よ」
そう語ってくれた祖母だから、どうにかする術を知っているかもしれないと思ったのです。
見つからないと泣きそうな子供の頭を撫でながら、祖母はそれじゃあと言いました。
「お菓子を作りましょうか」
「お菓子……?」
「神さまは案外甘い物がお好きなのよ」
次の日、子どもは祖母と一緒に作ったお菓子を持って森に行きました。
目印となる洞のある木のところまでやってくると、お菓子を洞の中へと入れます。それからお祈りをするように両手を合わせて言いました。
「神さま、森で大事な大事なブローチを失くしてしまいました。見つけてください。お願いします……お願いです……」
何度もお願いしますと繰り返してからぺこりと頭を下げて、子どもはそのまますぐに森を後にしました。
そしてさらに次の日。
外から帰った子どもは祖母の元へと一目散に飛んでいきました。
「おばあちゃん!」
「おかえりなさい。ちゃんと見つかったみたいね」
子どもの手には失くしたはずのブローチが握られていました。
「うん、ただいま、あのね、あのね、昨日おばあちゃんに言われたとおりにしたらね、お菓子の代わりに穴の中に置いてあったの!」
「良かったわね、神さまが見つけてくださったのよ」
「うん、良かった! おばあちゃん、ありがとう」
「あらあら、お礼は神さまに言わないと」
「あ、そっか……どうしたらいいかな。森でありがとうって言ったら聞こえるかな?」
「そうね、お礼にまたお菓子を作りましょう」
「うん!」
闇を纏った男は包みを開けると、中から焼き菓子を一つ取り出して無造作に口に入れた。
ざくざくとした触感と、素朴な甘さが口の中に広がる。
「酒のつまみにはならねぇが……まぁ、たまにはいいか」
闇は誰に聞かせるでもなく呟くと、残りの菓子が入った包みを片手に森の奥へと消えて行った。
終わり