「あら」
エリュアールは戸棚をのぞきこんで声を漏らした。
そこには小腹がすいた時などにと軽くつまめるような菓子類を常備しているのだが、今は見事に空っぽになってしまっていた。
そういえばと、彼女は思い返す。三日ほど前に最後の一個だった飴を食べてしまったのだった、と。補充しなければと思ってはいたのだが、それほど急を要することではないので、すっかり忘れてしまっていたのだ。
エリュアールは少しばかり口をとがらせた。
彼女は別段、無類の菓子好きというわけでもないので、ないのであればそれはそれで構いはしない。
普段ならば。
ちらりと、先ほどまで向かっていた机のほうを見る。
机の上には数冊の本と学習用の帳面と筆記具が整然と並んでいる。試験も近いということで、昼食後から寮の自室で集中して勉強をしていたのだ。
ちょうど区切りがついたので、甘い物でも食べて一息入れようと思ったのだが、肝心の菓子がなかったのである。
ないと思えば、なおさら余計に食べたいという欲求がわいてきてしまっていた。
エリュアールはとがらせていた唇をほどいて軽く息を吐いた。
「休憩がてら、売店に行ってきましょうか……」
「あら」
売店の棚をのぞきこんでエリュアールは声を漏らした。
普段菓子類が置いてある棚に菓子がなかったのである。
配置が換わったのかと広くは店内をぐるりと一周してみたものの、彼女の望みの物は見当たらなかった。
首を傾げながら店員に尋ねてみたところ、いつもの仕入れ先が数日前から臨時休業で、在庫もちょうど切れてしまっているのだとのことだった。
明日には別のところから卸してもらう予定だと教えてくれたのだが、欲しいのは今なのだ。
そう内心では思いつつも、そんなことは微塵もにじませずにエリュアールは礼を述べて売店を後にした。
軽く唇をとがらせて歩きながら、どうしようかと考える。
ないのならば仕方がないのだが、出てきたのに目的を達せずに部屋に戻るのが少し悔しかった。
「たしか……食堂のメニューにパンケーキがありましたよね」
自分で注文をしたことはなかったが、誰かが頼んでいるのを見たことがあった気がした。
エリュアールは一つ頷くと、足を食堂のほうへと向けた。
「あら……」
食堂の扉の前に立って、エリュアールは落胆の声を漏らした。
扉には一枚の紙が貼ってある。書かれている内容はと言えば、『設備点検のため夕方まで閉鎖』とのこと。
これには彼女もがっくりと肩を落として踵を返した。
街まで出てしまえば菓子ならば容易に手に入るだろうが、さすがにそこまでする気にはなれなかった。
仕方がないとエリュアールは軽く首を振る。
甘い物は食べられなかったが、少し出歩いたことで気分転換にはなったと、どうにか自分を納得させようとする。
とぼとぼといつもよりも足取り重く寮へ帰る道を歩いていると、前方から見知った顔が駆けてくるのが見えた。
「エーリュー!」
大きく片手を振り、名前を呼びながら駆けてきたのはアーリヤであった。
少しばかり気落ちしているエリュアールとは対照的に、嬉しそうな笑みを浮かべている。
「部屋にいなかったから探しに行こうかなぁって思ってたとこなんだよぉ」
にこにこと笑いながら言うアーリヤに、エリュアールは息を吐いた。
「何か用ですか、アーリヤ・ティーヴァ」
「あれぇ、なんかエリュお疲れ?」
普段よりも覇気がないことを指摘されて、エリュアールはぐいっと背筋を伸ばした。
「貴女の気にすることではありません。それより何の用ですか」
「んんん〜?」
突っぱねられたアーリヤは首を傾げてすこしばかり不思議そうにしたものの、追及したところで答えてもらえないことは分かっているため、すぐに本題に戻っていった。
「えっとねぇ、エリュにお裾分けぇ」
そう言ってアーリヤは片手を掲げる。その手には紙袋があった。
エリュアールは瞬いた。
アーリヤが持つ紙袋から甘い匂いが漂ってくる。
「それは……」
「シャールからクッキーもらったの。一緒に食べよぉ!」
エリュアールは反射的に眉をしかめた。
「何故シャール・ナダリアが」
言葉もとがったものになったが、アーリヤはまったく気にすることなくご機嫌に誘いをかけてくる。
「なんかぁ、急に食べたくなったから作ったんだけど、作りすぎちゃったんだってぇ。いっぱいくれたから一緒に食べよ」
エリュアールは睨むようにして甘い香りの紙袋をしばし見下ろしていたが、大きく息を吐くと不承不承というように了承を返した。
「作り手が気に食わないとはいえ……食べ物に罪はありませんから」
それは自分に言い聞かせているようでもあった。
「そうそう、美味しい物に罪はなぁい」
「……紅茶は私が淹れましょう」
「やったぁ! エリュのお茶美味しいから好き〜」
「ありがとうございます」
エリュアールはようやく少しばかり表情を柔らかくした。それにアーリヤは嬉しそうに笑う。
「……ところで、試験が近いのに貴女は随分と余裕がありそうですね」
アーリヤはびくっと肩をすくめた。
「い、息抜きに散歩してただけだよ」
視線をそらしながらのその言葉はあからさまに嘘が透けて見えていたが、今回だけは大目に見ることにした。
甘い物を持ってきてくれた礼として。
エリュアールはにっこりと笑う。
「甘い物を食べて休憩したら、ついでですから勉強も見てあげましょうか」
「うえええ〜お手柔らかに……」
終わり